子どもは毎日「外国にいる気分」
大人の皆様。自分の子どもや親戚の子ども、年齢に関わらず一緒に遊ぶ際、心からエンジョイできていますか? 「おままごとしよう」と誘いを受けたら、本気でペットの犬役を全うする心得はありますか?(ままごとでは、「ママ・パパ」や「お姉さん・お兄さん」などの主役はたいてい子どもに取られ、大人は脇役を割り振られることが多いのが私の経験です。)
「小さな犬」というリクエストならば、少し高い声で「ワンッ!」。犬の鳴き声を想像しながら、「今の『ワンッ!』はちょっと子犬らしくなかったかな、じゃあこうしみよう」と工夫を極められていますか? それとも…なんとなーく相手をしてあげるというスタンスでしょうか。
ご安心下さい! 私を含め、疲れた大人(笑)は、ままごとのリクエストの度に、全身全霊で犬の鳴き声を極めることはできないと思います。脇役だって重要なはずですが、「脇役だし…」とつい甘んじてしまうことも多々あります。
私たち大人は、自分では様々なことを理解していると思っていて、世の中の法則や事象に慣れてしまっていますよね。例えば太陽ひとつとっても、本当は知らないことも多いはずですが、「太陽は太陽」と捉えてしまっています。一方、子どもにとっては、全てが新しい経験のため、目をキラキラさせながら「なぜなぜ?」と様々な疑問を抱きます。
前置きが長くなってしまいましたが、今回はこの「なぜ?」という知的探究心の“原石”をいかに見過ごさず、磨いて、活かすかについてお話しさせていただきます。
大人も国外に出向いた際に、様々な文化ややり方に対して「なぜ?」と思うことがありますよね。そのフレッシュな気持ち。子どもの「なぜ?」はそれと同じです。子どもたちにとっては、新しい経験は理解できないことばかりです。
こりゃたまらない! 努力した分、子どもの反応が返ってくる
悲しきかな、大人の世界では、努力しても必ずしも結果がついてくるという甘いことばかりではないですね。同じく、保育・教育の現場も日々日々、本当に大変です。重労働も少なくありません。ただ、私たちの学校も含めて、保育や教育の場に熱心な先生が多いのは、レッスンや学びの設計において工夫した分だけ、反応してくれるからだと思います。先生たちは子どもの素直な反応がたまらないのです。
▼熱狂するファンさながら
写真は、日常のレッスンの様子です。まるで、コンサート会場の熱烈なファンさながらの反応。このような「WOW!(すごーーい!)」の瞬間の積み重ねが好奇心を培います。
探究心の原石を無駄にしないために大人がやれること
学ぶことが楽しいという経験の積み重ねが、次の「なぜ?」「どうして?」を生み、そして「やってみたい!」に繋がります。興味を持つ能力、失敗を恐れずにチャレンジする能力はたくさんの成功体験を通して習得できるスキルだと信じています。
この成功体験と「なぜ?」を探求する機会を、教科書や教室にとどまらず、様々な形で数多く提供することが学校の使命と考えています。
では、家ではどうすればよいでしょうか。「学校の先生のように、一緒に実験をできるわけではないし…」と難しく考える必要はありません。
ありがたいことに、子どもたちの興味は尽きないからです。場所や場面に限定されることもありません。お散歩していても、食事をしていても、お風呂や歯磨き中にも、さまざまな「なぜ?」が浮かびます。そんなときに親としてできることは、できる限り子供の気持ちになって、先頭に立って探求しようとする姿勢を忘れないことです。
例えば、歩きたての子どもが水たまりでパシャパシャしたい時に止めますか?
私は、息子たちが水たまりに向かうと、まず直感的に「止めたい」と感じます。特に東京は水たまりが衛生的にキレイな保証はないですし、濡れたら帰宅後の処理が大変。風邪もひきやすくなるし…と、本当のところ、頭に浮かぶ“大人の事情”は底をつきません。
また、子どもが公園でミミズに触ろうとしていたらどうしますか?
そもそも、生まれつき虫が嫌いな子どもっているのでしょうか。私はNOだと思います。現代っ子、特に東京の子は虫を触れない子がとても多い! やはりそれは、大人がつい「虫嫌い」の雰囲気を出してしまっているからではないでしょうか。もしくは、「ヌメヌメのカエルやミミズを触った手で、このあと色々触る」と想像して、なんとなーく「触ることを避けさせたい」と思っている親の気持ちが子どもに伝わっているかもしれません。そうすると、特段、「虫嫌いになれ」と言葉で指示しているわけではないのに、親の姿勢が伝わり、虫は触れないもの、ただそこらへんに居るもの、という風景が日常になってしまいます。
親としてはそうした「不衛生だから」「体調を崩すから」といった心配の気持ちをぐっと堪え、頑張って、勇気を振り絞りましょう。子どもが清潔に遊ぶのを諦めて、触って観察してみましょう! ママもパパも泥んこになりましょう。
「見るだけ」を当たり前にしない姿勢
毎日の忙しい生活の中で、すべての「なぜ」に答えることはできないかもしれません。毎日毎日泥んこになるのも、親にとって不都合というのも現実です。ただ、大人自身も学ぶ姿勢を忘れずにいようとすることが大事かもしれません。子どもにとって、日常の「学びの種」には触れずに見るだけ…ということを当たり前の風景として脳に処理させないように意識するだけで、「良い種」がいつの間にか育ってくれるはずですよ。
【グローバルリーダーの育て方】は、100%英語環境の保育園やアフタースクールを経営する女性社長・龍芳乃さんが、子供が世界で通じる「人間力」「国際競争力」をどう養っていくべきかを説く連載コラムです。アーカイブはこちら