《夥しい数の自転車が、秩序なき混沌の街中を自由に走り回る。警告のベルが鳴り止まない。ガソリンを燃やし損ねた排気ガスの悪臭が鼻を突く。路肩にはゴミがうず高く積み上げられ、ドブネズミが駆け回る…》。僕がかつて抱いていた中国の街並みのイメージはこんなところだった。だがここ数年、上海を訪れることが多くなり、そんな光景は遥か遠くの過去のことになったのだと実感する。
中国は日増しに豊かになり、文化的な遅れを取り戻しつつあるように感じる。訪中は半年に一度程度なのだが、それでも、昨年は建設途中だった建築物が今年にはもう完成していたり、春にそうであった規則が秋には改まっていたり、上海という街並みは進歩も退化も含めて急速な変化を遂げていることに驚かされるのだ。
街はEVバイクだらけ
今では、ガソリンバイクの往来がまったくといっていいほどない。庶民の足であるバイク(日本でいう原動機付自転車サイズ)は、ほぼ100%が電動である。今年滞在したのべ3週間あまりで、ガソリンバイクを見掛けたのは一度もなかった。
街がEVバイクだらけだから、注意力を張っていないと事故の危険性がある。エンジン音がなく、スーッと忍び寄るように脇をかすめるからだ。それでいて、二輪車専用道では逆走も少なくなく、思いかげぬタイミングでUターンをする。歩道にもズカズカと侵入してくる。常に四方八方に意識を向けていないと怪我をするかもしれない。
しかも、クラクションを鳴らさない。というのも、クラクションは上海の法律では禁止されているからなのだ。日本と似た道路交通法が存在しており、免許証に付帯されているいわば持ち点は12点。違反と共に累積する。クラクションを一度鳴らすと3点の減点。累積により12点に達すると行政処分の対象になるばかりか、拘置所に収監されるという。しかも、およそ1カ月の収監という厳罰なのである。クラクションの響きがないのも道理なのである。
道路の至るところに、監視カメラが設置されている。幹線道路には、およそ50m未満の間隔でフラッシュライトが点滅している。それが監視カメラだ。あからさまに監視の目が光っている。中国の画像認識技術は進んでいるから、どれほど化粧をしても髪形を変えても個人が特定できてしまうというから、逃れる術はない。
日本円にして450万円
それでいて首を捻りたくなるのは、深夜であってもライトを点灯する習慣がないことだ。闇に紛れ、音もなく電動バイクが忍び寄ってくるのだから、身を守るのは自らの注意力だけというわけである。
そもそもガソリンバイクを見掛けないのは、一切の走行が禁止されているのではなく、ガソリンバイク専用ナンバープレートの取得に、日本円にして450万円前後の税負担が強いられるからだという。
「環境対策のEV化?」
「いや、ガソリンバイクの事故が多発したからです」
上海在住の友人がそう説明してくれた。政府が危ないと判断したら、徹底した指導や規則が施行されるのが、中国という国なのである。
共産党一党独裁の社会主義国家中国は、中央に権力が集中するから、意思決定が早い。次に僕が上海に行くのは2カ月後だ。その頃にはまた、何かが大きく変わっているかもしれない。
【クルマ三昧】はレーシングドライバーで自動車評論家の木下隆之さんが、最新のクルマ情報からモータースポーツまでクルマと社会を幅広く考察し、紹介する連載コラムです。更新は原則隔週金曜日。アーカイブはこちら。木下さんがSankeiBizで好評連載中のコラム【試乗スケッチ】はこちらからどうぞ。