老後資金2000万円問題で日本中を疑心暗鬼に陥れた金融審議会レポートには、老後資金対策としてiDeCo(イデコ:個人型確定拠出年金)の活用が含まれていた。iDeCoの公式サイトによると、2019年6月時点での加入者数は約128万人と国民の100人に1人である1%が加入している計算だ。公的年金の被保険者数は平成29年度末で6733万人のため、現時点での被保険者数を6700万人と仮定すると、128万人÷6700万人×100=1.9%の加入率である。老後資産形成を促すための税制優遇制度であるiDeCoは何故広まらないのか。ファイナンシャルプランナーが相談を通じて感じた消費者の気持ちや、過去に運営管理機関からヒアリングした内容を踏まえて、働く人々がiDeCo加入に踏み切れない現実を5つまとめることとした。
手続きが面倒で申込書の提出に至らない
筆者が自らiDeCoに加入する際、運営管理機関の担当者から聞いたのだが、資料請求から加入に至る割合が非常に低いということであった。理由は簡単で、素人には内容が難しすぎるとのこと。資料を読んでもよくわからず、口座開設に至らないという。
iDeCoは制度の特徴から、仲立ちとなる人がいない。そのため、加入の手続きは自己責任で完結させなければならない。世の中に情報があふれており、調べようと思えばいくらでも調べることは可能だ。しかし、調べた情報を自分事に落とし込んで、理解し記入するということは調べることとイコールではない。「調べたけどわからないからやめた…」、「今日はもういいから、時間のあるときに…」という人が多いのだろう。そうでなければ、税制メリットのある制度をやらない理由はない。手続きの流れが煩雑だったのだ。
今後、マイナンバーカードが強制配布となり、個人の税金や社会保険の情報が一元的に管理できるようになれば、この辺りのわずらわしさが軽減する可能性はある。しかし、現状は面倒な事務を自分でこなさなければ加入にたどり着かないのである。仕事や家庭が忙しい人には、読むのが大変、書くのも大変では書類作成と提出までたどり着かないだろう。
会社員、公務員の場合は勤務先での手続きが必要
筆者がファイナンシャルプランナーとして相談を受けている中でiDeCoの相談もある。加入を希望し、iDeCoの手続き段階になり、会社で印鑑を押印してもらう必要があると伝えると、全員渋い表情をする。そして、全員「諦めます」というのだ。
つまり、会社に自分の財産を明かすような行為はやりたくないということだ。社内の人事や総務に投資している事実を知られたくないということでもある。iDeCoの知名度が上がり、加入者が増えればこのようなハードルは低くなるはずだが、現時点では社内に資産を知られたくない。余計な情報を社内に公開したくないという意識が働くようだ。
相談される方々の会社への信頼感が欠如しているように思えるし、実際にそのような勤務先なのかもしれない。もし、読者の方が人事や総務部門で、自社の社員のiDeCo加入率が低かったならば、皆さんが社内で信頼されていないということの表れなのかもしれない。中小企業の場合は、社長や社長の配偶者が総務全般を取り仕切っているだろうから、遠慮してしまうという人もいるだろう。いずれにしても、社印が必要というステップで、多くの人がiDeCo加入に脱落している事実を認め、加入の流れを改善する必要があるだろう。
投資対象の選定が困難
iDeCoを始めるにあたって、どこの金融機関に問い合わせればいいか知っている人はいるのだろうか。インターネットでiDeCoと検索すれば、証券会社の広告、iDeCoの公式サイト、厚生労働省のホームページ、銀行のホームページなどが検索結果として表示される。
どこの金融機関に申し込めばいいのだろう。何を比較すればいいのだろう。そもそも金融機関ごとの違いは何だろう。そんなことを考えながらウェブサイトを比較しても結論は出ない。iDeCoに加入するコストは、どこも似たり寄ったりで違いがわからない。しかし、比較検討の対象は二桁を超える。人間は選択肢が多いと選べなくなるのだ。従って、金融機関選定の段階でも、かなりの人が脱落し、資料請求にたどり着かない。そもそも、iDeCoの相談先がどこにあるのかわからない。金融機関に相談したら営業されそうだから、ネットで比較したい。ファイナンシャルプランナーに相談するのもいいのだが、お金を払いたくはない。となると、自分で調べるしかないのかもしれない。
加入にたどり着いたとして、次のハードルは投資先銘柄の選定である。大体は、預金と保険、その他数本の投資信託が商品ラインナップとなっている。これらの銘柄はどうやって選べばいいのだろうか。投資金額を割り振るパーセンテージも自分で決めるようだが、何を基準にすればいいのだろう。似たような投資信託がたくさんあるが、明確な違いがわからない。損したくないと考えると、預金にすべきなのだろうか。
商品ラインナップは銀行や証券会社は自社系列の商品ばかり。加入者のために選定しているというより、自社グループの利益を確保するために商品を選んでいるようにしか見えない。とすると、加入者目線でない金融機関で口座を開設してしまったのかもしれない。商品を調べるほど、このような疑心暗鬼に陥ることもあるだろう。中立的な立場で商品を選ぶ金融機関もあるだろうが、商品ラインナップが多すぎると選びきれないという問題も発生する。損をしたくないから、間違いのない商品を選びたい。ただ、それを教えてくれる人は誰もいないし、そのような正解は存在しないことも誰も教えてはくれない。
相談できるアドバイザーが身近に居ない
筆者を含めたファイナンシャルプランナーが、iDeCoの相談を受けるのにふさわしいと考える人は多いようで、実際に色々な方からiDeCoの相談依頼が来る。しかし、銘柄選びの手伝いは法令違反になるので対応できないことを皆知らない。これはそもそも知っている人が少ないのだが、投資のアドバイスを仕事として実施するには投資助言・代理業という仕事の登録を財務局(金融庁の出先機関)に行う必要がある。筆者も含めて、ほとんどのファイナンシャルプランナーが投資助言・代理業に関して無登録であるため、銘柄選定のアドバイスができないのが実態だ。
投資助言・代理業者は2019年7月末現在で983社存在するが、まとまった資金の運用などの助言が主であり、iDeCoに関する投資相談に対応するとは考えにくい。対応したとしても、それなりの助言報酬を支払う必要があるだろう。それ以前に、どの投資助言・代理業者に相談すべきか比較する材料がないので、比較自体が困難である。
金融審議会レポートでは、老後資金形成のためには資産形成のアドバイザーが必要だと訴えていた。しかし、最も身近な相談者であるファイナンシャルプランナーは業界をあげて、コンプライアンスに違反しないように注意喚起しており、投資に関するアドバイスをしない方向に動いている。従って、iDeCoに関する相談ができる先は、金融機関しかないことになる。しかし、金融機関の担当者が投資に詳しいわけではないから、結果として相談する先はないという事になる。
本気でアドバイザーを養成するのであれば、ファイナンシャルプランナーに対して所定の研修を行った上で、業務に使えるツールを提供する必要があるだろう。
また、iDeCoの相談にお金を払いたいと考える人も少ないため、政府の予算編成の中で、iDeCo普及に関しての相談を実施するための予算を、金融庁内で確保した上で、しかるべき資格をもった人たちへの相談を金融庁として実施する必要があるだろう。その際、相談した人たちからのクレーム、例えばアドバイスをうけた銘柄で損失が発生しているといったような内容を受けることを前提としておくべきだろう。
今や、ファイナンシャルプランナーは国土交通省の予算で空き家相談を受けたり、独立行政法人日本学生支援機構の予算で奨学金に関するセミナーや相談を実施したりしている。金融庁が本気でiDeCoを普及したいと考えるのであれば、予算を計上した上で国民全体に対しての啓蒙と相談会の実施、手続きのサポートが必要だろう。
政府が信用されていない
最後に、残念ながら我が国の政府は20代、30代に信用されていない。iDeCoを始めたはいいが、税制優遇が後で無くなるのではないか、後でちゃぶ台返しを食らうのではないか、ということを恐れている。
金融庁系の審議会で老後資金が2000万円足りないと発表し、一方で公的年金の財政再計算で年金財政の安定性を強調してみたりと、方向性がバラバラで傍から見ていて何か隠しているんじゃないかと疑心暗鬼になるのは、若い世代だけではないだろう。実際に、政府が信用できないからiDeCoをやらないという人も多数いる。色々な施策で、iDeCoの普及に弾みをつけることはできるだろう。しかし、根本的な政府への信用が担保されていない現状を、そもそも改善すべきなのではないか。ただ、残念ながら筆者には、政府が信用されるように改善する案は考えつかない。
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