趣味・レジャー

消えゆく「ドライブイン」 生き証人が語る栄枯盛衰

 道の駅などの広まりで、最近はあまり見かけなくなったドライブイン。昭和のモータリゼーション(自動車の大衆化)とともに勃興し、ドライブの合間の飲食や休憩に利用されにぎわったが、令和の現在、インターネットで検索すると、近畿2府4県で「ドライブイン」の名前がつくのは5施設に過ぎない。その一つ、京都府舞鶴市の国道178号沿いにある「ドライブインダルマ」は、懐かしい自動販売機などがそろう。高度成長期から50年近く家族で経営してきた施設は、ドライブインの歴史の生き証人でもある。(永山裕司)

国道178号沿いにある「ドライブインダルマ」=京都府舞鶴市丸田
壁一面に並ぶ自販機。ハンバーガーや瓶のコーラ、カップヌードルなど、どこか昭和の香りを強く感じさせる
自販機で売られるラーメン。27秒で調理され、シンプルな味だ
ドライブインの伝統を守る谷口さん一家。店内には店名の由来となったダルマも
いまや珍しいラーメンやうどんの自販機も並ぶコーナー。ドライバーやライダーがくつろいでいる

昭和の香り

 舞鶴市の市街地から国道178号を宮津市方面へ車で約5分、由良川沿いにドライブインダルマ(同市丸田)はある。平屋一部2階建ての建物はレストランと自動販売機コーナーで構成され、自販機コーナーには今では珍しいラーメンやうどん、ハンバーガーなどの自販機が並ぶ。ラーメンはたった250円で、硬貨を入れて27秒で調理される。

 ゲーム機が並び、音楽が流れるコーナー。トラックやバイクが次々止まる広い駐車場。ドライブインダルマには昭和の香りが漂う。

 ドライブインは昭和40年代、道路網の整備と自家用車の普及が進んだモータリゼーションを背景に、全国で開業が進んだ。都市部を離れた幹線道路に面して立地し、広い駐車場や飲食店、自販機コーナー、みやげ物店などを併設。帰省の家族や旅行者、トラック運転手ら車で移動する人々の休憩や食事などに利用され、憩いの場となった。

 昭和の時代、お盆にマイカーで帰省した際などに、ドライブインに立ち寄った経験のある人は少なくないはずだ。

車が数珠つなぎ

 ダルマは46年6月、谷口高康さん(74)、美津子さん(77)の夫婦が開業。「地元には何もなく、国道沿いに田んぼが広がっていた。夫婦で商売でもしようかと開店した」と美津子さんは話す。

 国道178号沿いでは府内初の開業だったという。初めはレストランのみの営業で、1年後に24時間営業の自販機コーナーを開設。店名のダルマは七転び八起きにちなんで命名した。レストランの調理場前の棚には、開店当時からのダルマが現在も飾られている。

 当時は高速道路網も整備されておらず、国道178号は舞鶴市から西の鳥取県岩美町を結ぶ日本海沿いの幹線道路だった。総務省の統計によると、48年には自動車登録台数(普通車)が100万台を超えるなど、モータリゼーションのさなかで、「街道を車が数珠つなぎとなり、お客さんが多く訪れた。大型トレーラーの運転手さんが多かった」と美津子さん。街道沿いには何十軒ものドライブインが開業したという。

栄枯盛衰を経て

 やがて高速道路の整備が進み、平成には京都縦貫自動車道が府の南方面から北の日本海方面の宮津市、京丹後市へと延伸するにつれ、国道178号は「生活道路になり、車の通行量は減った」(美津子さん)という。当然、ドライブインの利用者も減少。同様に全国でも、多くのドライブインが姿を消した。

 それでもドライブインダルマには強みがあった。一つは家族経営。現在は美津子さんと息子夫婦の典央(のりお)さん(49)、真紀さん(48)、そして2人の長男の悦士(よしひと)さん(27)の親子三代で店を切り盛りする。「家族だけで従業員がいない分、苦しくてもなんとかやっていけた」と美津子さん。平成16年の台風23号で店が水没する被害を受けた際も、家族総出で復旧に当たったという。

 もう一つの強みは、「自家製で、手が掛かっている料理」(美津子さん)。冷凍食品などを使わず、手作りの料理を出すことで、一定の顧客をつかんだ。

 国道178号の盛衰を見つめつつ、開業から48年を経た現在もドライブインの看板を守る。美津子さんは「今後も店と料理の味を家族で守っていきたい」と力を込めた。

 ドライブインダルマの営業時間はレストランが午前8時~午後5時、自販機コーナーは午前6時ごろ~午後7時。問い合わせは0773・82・0213。