もう一生治らないと思っていたら… 「恋をする」と腰痛がよくなる科学的理由

提供:PRESIDENT Online

 厚生労働省の調査によると、腰痛に苦しむ日本人は、実に人口の4人に1人に当たる2800万人と推定され、年々増加傾向にある。一方、街を歩けば、整形外科や整体に鍼灸院、書店では『○○で腰痛が治る』のような健康書が山ほど目につく。それでも腰痛患者が減らないのはなぜなのか? 腰痛改善のための世界初の小説を著した著者が、その謎と大いなる誤解を解く。短期連載、第2回は「腰痛と脳科学」のお話です--。

 「そうか、悪いのは腰だったんだ」

 「あの、おしりが……おしりの奥のほうが痛いんです」

 私は少し恥じらいながらそう切り出した。

 あれは24歳の時、会社員になって2年目の冬だった。私は、求人広告出版社の営業をしていて、毎日自転車で担当地域を回っていた。私の担当地域には坂道が多く、ときどき足や腰が筋肉痛になる。そのおしりの痛みもただの筋肉痛だと思っていた。しかし、1カ月、2カ月とその痛みは消えず、さすがに私も「これはただの筋肉痛ではないのではないか?」と思いはじめた。

 「歩き方がヘンだよ」

 会社の同僚に指摘されたのもこの頃だ。私は会社の昼休みに、会社近くの整形外科クリニックを受診した。

 「椎間板ヘルニアですね」

 その医師の言葉は予想外だった。「椎間板ヘルニア」が腰の病気であることはなんとなく知っていた。だけど、私が痛いのはおしりであって、腰ではない。そう訴えてみたが、それは腰からきているとの一点張りだった。疑問はあったものの、医師がそういうのだから受けいらざるを得なかった。

 --そうだったのか、悪いのは腰だったんだ。これは大変なことになったぞ……。

 まだインターネットのない時代。私は、書店で腰痛関連の本を立ち読みした。軟骨が出っ張って神経を圧迫しているのなら、治すのは手術しかないではないか。手術なんて絶対にいやだ。とにかくこれ以上悪化させてはならない。その日から、私の頭の中は「腰のこと」で占拠された。

 目が覚めて、最初に思うのは「腰」のこと。朝はいきなり起き上がってはいけない。一度横を向いて、手をついてから起き上がること。それが腰への負担を減らす方法だ。顔を洗う時、モノを拾う時、靴をはく時、姿勢に気をつけ、布団のかたさに気をつけ、腹筋、背筋、腰にいいイス、カバンを持つときは左右均等に、それから、それから……。

 そのうち、おしりだけではなく、本当に腰が痛くなってきた。私はなんとか自分の腰下肢痛を治そうと、よいと勧められる治療法を片っ端から試した。整形外科だけでも数か所、鍼灸、整体、接骨院、気功……。もがけばもがくほど溺れるように、私の腰下肢痛は悪化し、会社は退職、3度の入院、最後には手術もした。でも……治らなかった。やれることは全部やったのに。

 私の腰痛を改善させた「大恋愛」

 これだけやって治らないのだから、私の腰下肢痛はもう一生治らないに違いない。最初に痛みを感じてから2年の月日が経ち、私は26歳になっていた。私は布団をかぶって泣くことくらいしかできなかった。しかし、人は一旦ドン底に落ちるとあとは上がるしかないのだ。まだ20代、恋愛も結婚も仕事もしたい。やっぱりいやだ。このまま治らないなんていやだ。こんな風に布団の中で泣いていてはダメだ。まずは外に出よう。なにか行動を起こそう。

 運よく、家の近くに短時間のパートを見つけ、私は働きはじめた。痛みはあった、でも痛いままでも働くことにした。仕事をしていると気がまぎれる。痛みは薄皮をはがすように薄れていった。

 働きはじめて3カ月、私には好きな人ができた。それはここに書くのも恥ずかしくなるほどの大恋愛だった。私の頭の中は、寝ても覚めても彼のことでいっぱいになっていった。

 それはまるで、腰のことばかり考えていたあの頃のようだ。私の頭の中は、腰一色から彼一色に塗りかえられたのだ

 そうしていつの間にか、私の腰とおしりと足の痛みは消えていた。あれだけなにをしても治らなかった腰痛が、なぜ治ったのか、当時の私にはまったく見当もつかなかった。

 その後、私は鍼灸師になり、心と身体に関する専門知識を得た。その中でも最新の脳科学を学ぶうちに、どうやら、なにをやっても治らなかった私の腰痛が改善したひとつの要因はあの大恋愛だったらしい、ということがわかりはじめた。

 20世紀初頭まで、痛みを認識する場所は「視床」という脳の一部だとされていた。しかしその後の研究により、「痛み」は視床だけではなく、「ペインマトリックス(痛み関連脳領域)」といわれる脳内の様々な場所で認識されていることがわかった。この「痛み関連脳領域」は、痛みに関する「言葉」「イメージ」「記憶」「予想」によっても興奮する。いつも「腰」や「腰痛」のことを気にしているということは、常に「痛み関連脳領域」を興奮させ続けているということでもある。

 モルヒネの6.5倍の鎮痛作用

 「気にする」だけで「痛み」がでるの?--いや、「気にする」だけでは「痛み」はでない。それは、脳内には、過剰な興奮を鎮めるシステムが備わっているからだ。たとえば、「痛み」には、痛みを鎮めてくれる脳幹下行性抑制系というシステムが働いている。ただし、このシステムは、不安・恐怖などの感情やストレスで働きが悪くなってしまう。「腰痛」への不安が強いほど、「腰痛」を気にするほど、痛みは鎮まりにくくなってしまう。

 逆に、「痛み関連脳領域」の活動を低下させる方法もわかっている。それは、報酬系といわれる部分を活性化させること。例えば、モルヒネの6.5倍の鎮痛作用があるとされているβエンドルフィンは、特に脳内の「報酬系」に多く分布する。ということは、「快感」をたくさん感じて報酬系を活性化すれば「痛み」は鎮まる。“心をワクワクさせると身体の痛みは消える”ということは科学的に説明できることなのである。

 「腰痛を治す」ということが「痛みが消える」ということであるならば、私のおすすめは“恋”をすること。なにも相手は人間じゃなくてもいい。ペットでも、植物でも、趣味でも……。あなたにとって考えているだけで心がウキウキ弾むような、好きで好きでたまらないなにか--そんなワクワクで頭の中をいっぱいにしてみてほしい。(つづく)

 伊藤かよこ(いとう・かよこ)

 1967年大阪府出身。東京都在住。鍼灸師。会社員時代に「椎間板ヘルニアによる腰下肢痛」の診断を受け、その後2年にわたり3度の入院と手術を経験。2000年はり師・きゅう師免許取得後、神奈川県で鍼灸カウンセリング治療院を開業。腰痛をはじめさまざまな心身面での不調に悩む多くの患者さんと対話を重ねる。2016年11月、世界初の腰痛改善小説『人生を変える幸せの腰痛学校』を上梓。現在は心と身体に関する講演や勉強会などを中心に活動。

 (鍼灸師 伊藤 かよこ イラストレーション=かとうゆめこ 撮影=椎名トモミ)