若年性認知症の悲劇 仕事でミス続き社内で孤立、退職に追い込まれ…

 
越智俊二さんが作った陶芸作品を手に、俊二さんとの思い出を語る須美子さん

 若年性認知症を47歳で発症し、退職後にアルツハイマー病と診断された男性の妻が、初診日が在職中でなくても障害厚生年金を受給できるよう、法改正を求める署名活動を続けている。働き盛りの世代が認知症になった場合、仕事のミスを繰り返すなどして職場で孤立し、本人も家族も認知症と気付かないままに退職してしまうことが多い。65歳未満で発症する若年性認知症の人は全国に4万人弱。働き手を失った家族は経済的に困窮し、「本人に優しい心を向けた介護や、生活を続けることすら難しくなる」と悲痛な叫びを上げている。(産経新聞 加納裕子)

車に記憶力低下補うための無数のメモ、同僚に殴られたことも…妻は必死に働いた

 福岡市の主婦、越智須美子さん(64)。夫の俊二さんはサッシの施工会社で勤務するサラリーマンだった。平成6年、サッシの取り付けや調整などをする現場への道に迷うように。会社から詳細な地図をコピーして持ち帰り、毎晩夜遅くまで経路をチェックし、早朝に家を出る日々。俊二さんはやせ細っていった。

 当時、47歳。俊二さんも家族も、疲れているせいだと考えた。やがて見積書の作成や資材の手配などでミスが重なり、仲間に殴られるなどして、けがをして帰宅するように。社内で孤立を深め、4年後に会社を辞めた。俊二さんが使っていた会社の車には、記憶力の低下を補おうと、無数のメモ書きが散乱していた。

 次女は短大生、三女は中学生。須美子さんはリサイクルショップを経営していたが、食費を切り詰め、生命保険を解約した。その後、俊二さんは警備員の仕事に就いたが、うまくいかずに辞めた。知人の勧めで病院を受診し、若年性アルツハイマー病と診断されたのは、退職して2年たった後だった。

 30年近く、厚生年金保険料を支払い続けていた俊二さん。もしも在職中に診断を受けていれば、障害厚生年金が月20万円程度、支給されるはずだった。だが、初診日が在職中であることが要件になっており、受給できない。「きちんと保険料を支払っていたのに、受給資格がないなんて…」。須美子さんには、納得できない思いを抱えつつ必死に働き、俊二さんを介護した。

 俊二さんはやがて、16年10月に京都市内で開かれた「国際アルツハイマー病協会国際会議」をはじめ、さまざまな講演会で、認知症当事者としての思いを発表するようになる。

 「母さん(須美子さん)は、私の現役の時よりも働いています」「働きすぎて、からだを壊すのではないかと心配です」「病気が治って、選手交代をして楽にしてあげたい」…。その言葉には、妻に経済的負担をかけていることへの申し訳なさがにじみ出た。

 俊二さんは17年ごろ、こんな詩を残している。

  自分のものわすれということが

  どうして

  こんなになったのだろうかと

  くやしい

  字がでてこない

  頭からでてこない

  (略)

 俊二さんは21年、肺炎をこじらせて亡くなった。62歳だった。

全国に若年性認知症の人は約3万7800人、6割が「収入減った」

 「若年性認知症になった人の多くは、自分の症状を家族にも話さない。一人で抱え込んで職場でも孤立し、診察を受ける機会のないまま、退職してしまうのです」と須美子さんは訴える。

 働き手を失った家族の苦労ははかりしれない。須美子さんは俊二さんにいつも笑顔で接し、当たり前の日常生活を大切にするよう心がけた。だが、介護をしながら一家の家計を支える負担は重かった。「生活苦で自殺する人だっている。投げ出したくなることもありました。眠れない日もありました。それでも、1日1日がなんとか終わる…、そんな毎日でした」

 同じように悔しい思いをする人が出ないようにと、須美子さんは平成25年、若年性認知症の場合は在職中の初診がなくても受給資格を認めるよう、法改正を求める署名活動を始めた。現在、約7万8千人分。10万人の署名が集まったら、国会に請願する予定だ。

若年性認知症、約3万7800人 診断受けずに退職する人、後を絶たず

 厚生労働省が平成18~20年に行った調査では、若年性認知症の人は全国に約3万7800人、男性が約6割と推計。「認知症介護研究・研修大府センター」(愛知県大府市)が26年、大阪府など15府県で若年性認知症の人や家族約380人を対象に行った調査では、発症前に仕事をしていた人のうち、約8割が退職・休職。1割弱は解雇だった。世帯の収入は約6割が「減った」と回答し、家計の状況は約4割が「苦しい」としている。

 越智さんとともに署名活動に携わる徳永響弁護士(福岡県弁護士会)は「現在は、在職中に診断を受けてもらう方向での啓発が進められているが、それでも診断を受けずに退職してしまう人は後を絶たない。そうした方への救済措置がなくてはならない」と指摘し、法改正の必要性を訴えている。

 署名用紙は、http://himawari1015.cocolog-nifty.com/blog/files/3.pdfから。