「高収入≠高貯蓄」年収1000万円超でも満足度低い なぜ不安になるのか

提供:PRESIDENT Online

 なぜ「高収入≠高貯蓄」なのか?

 「もう少し収入が高かったならなぁ」

 多くの方が日々、そう感じているのではないでしょうか。家計相談を承っているファイナンシャルプランナー(FP)の私も何度も思ったことがあります。

 もう少し収入が高かったら--

 ・欲しいものが買えるのに、

 ・いろんなところへ旅行に行けるのに、

 ・おいしいものをたくさん食べられるのに、

 ・教育費の心配はないのに、

 ・老後だって安心できるのに、

 ・もっといい暮らしができるのに……

 ところがどうして、仮に収入が上がったら、きっとこう思うことでしょう。

 「もう少し収入が高かったならなぁ」と。

 なぜ、私がこう思うのか。それには理由があります。家計診断をしていると、ある事実に気が付くのです。「高収入≠高貯蓄」であることです。たくさん稼いでいる人が、必ずしもたくさんお金を持っているとは限らないわけです。

 世帯収入が軽く1000万円を超えていても、貯蓄は数百万円程度とか。高収入なりの高支出家計となり、冒頭のセリフの繰り返しになってしまう……。高収入であるにもかかわらず、満足度は低く、常に足りないことを嘆き、将来に不安を感じています。他人からうらやましがられるほど稼いでいるのに、幸せではないのです。

 高報酬を得ているであろう人気芸能人であっても、自己破産のニュースが流れたり、実は多額の借金を背負っていたりと世間を騒がせることは少なくありません。

 記憶の新しいところでは球界のスター的存在であった元プロ野球選手の清原和博氏は、現役時代に50億円以上も稼いできたといわれているにもかかわらず、薬物使用が発覚し、自宅はおろか、財産はほとんど残っていないといいます。どこまで真実か分かりませんが、その多くはおそらく手元に残っていないのでしょう。

 低収入でも高収入でも浪費する人の「共通点」

 なぜ、このようなことが繰り返されるのでしょうか?

 いやいや、億単位を稼ぐ人を例に挙げて一般の家計を論じるのは、あまり意味がないと思われるかもしれません。清原氏のようなケースはあまりに特殊な例でしょうか。

 私はそうは思いません。そもそも人間は欲張りな動物です。もっともっとと欲しがる生き物です。この本質は何ら変わらないはず。だとしたら、「桁」は違えどやはりその”根っこ”にあるものは違わない気がするのです。

 想像してみてください。仮にご自身が清原氏の立場だったらいかがでしょうか。

 プロ野球選手でなくて構いません。何かの業界のトップスターで、カリスマで、世間からちやほやされて、周りから「スゴイ」と言われ続け、毎年何億円ものお金がもらえる立場だとしたら。

 それでも絶対タガが外れない自信を持てるでしょうか。法を犯すまでではなくても、特別な自分なら多少のことは許されると誤解を抱いてしまったり、あり余るほどのお金があれば、自分の好きなように振る舞ったり、もっともっと欲しくなったりしても不思議ではないのではないでしょうか。むしろ、清原氏のような浪費は自然とさえいえるかもしれません。

 ですから、いつも思うのです。

 金銭がらみのニュースを目にするたびに、一見違う世界の人たちの話のようで、冒頭のセリフをいう人たちと、何ら“根っこ”は違わないのではないか、と。

 動く金額が大きくなれば、失敗したときの代償も大きくなりますから、一気に裏目に出ることだって十分に起こりえます。大なり小なり同様のことがいたるところで繰り返されています。

 その根っこは、とてもシンプルです。

 失敗する人と、そうでない人とで違うのは、「ある思い」をどれだけ強く持てるかどうかの差ではないかと私は考えています。感謝する心です。

 自分が得たお金は、降ってくるわけでも、沸いてくるわけでもありません。自分で稼いだことには間違いありませんが、自分の力だけで得られたものではないはずです。いろんな人の協力があって、それで得られたお金でしょう。稼げるようになった自分だって、もちろん自分の努力は相当にあったと思いますが、やはり周りの人のサポートあってこそ。自分を含む小さな「社会の仕組み」の中で得られたお金です。そのことに率直に感謝できる気持ちをどれだけ持てるかで、お金の使い方は変わると思います。

 「お金に感謝」すると心が満たされる

 働き方や生き方が多様化し、家計も多様化してきています。家計の形も千差万別になってきたためでしょうか、それに伴って家計管理術みたいなものもいろいろといわれるようになりました。

 技術的なこともとても大切ですが、それ以上にもっと大事なのはマインドです。私は圧倒的にこちらの方が大事だと思っています。なぜなら、消費はマインドで決まるからです。

 道具を持っていても、使いこなせないと意味がないのと同じで、家計管理術を学んでも、それを行うやる気がなければ持続せず、家計改善にはつながりません。結局、「分かっていても、なかなかできない」のです。

 いずれにしても、どうもムダづかいが抑えられないという方は、現金を目の前に出し、ただただ感謝してみてはいかがでしょうか。いろんな人の手によって運ばれた尊いお金です。紙切れや金属(紙幣や硬貨)ではなく、いろんな力が結集されてできた形です。

 「現金に感謝? そんな辛気臭いことして何になる?」

 そう思うかもしれません。実は、私も数年前まではまったく同じように思っていました。

 しかし、15年間家計相談をしていて断言できるのです。家計を健全に保てるか保てないかは、また貯蓄形成できるかできないかは「マインド」にかかっている、と。それを具体的なアクションに置き換えると、例えば「紙幣に感謝」ということになるのです。1秒でいいから、感謝する。それだけでずいぶんお金の使い方も違ってくるのではないでしょうか。

 実はこうしたお話は、実際の家計相談でもまじめにします。

 「現金を見てください」

 「その現金にどうぞ感謝してください」

 ご相談者に笑われたことは一度もありません。「そっか、そういうことが大事なのかもしれませんね」とは何度も言われています。親がお金に感謝できないと、その親に育てられた子もお金に感謝できなくなってしまうかもしれません。親のお金使いは、そのまま金銭教育にもなります。

 すぐにあなたのマインドは変わらないかもしれません。でも、これも訓練と思ってトライしてみてはいかがでしょうか。あなたのマインドが変われば、家計は必ず変わります。やればやっただけ、変わるものです。今からでも決して遅くはありません。一度転落した清原氏だってマインドさえ変われば、必ず再度輝けると信じています。

 (ファイナンシャル・プランナー 八ツ井慶子=文)