メディア史研究者・押田信子さん
著者は語る□「兵士のアイドル 幻の慰問雑誌に見るもうひとつの戦争」
■歴史に埋もれた“真実”を知ってほしい
もう間もなく、暑い夏とともに、8月15日の終戦記念日を迎える。女優の故・高峰秀子さんは名著『わたしの渡世日記』の中で、天皇の玉音放送を慰問先の洲崎航空隊で聞いたとし、飛行場に設置されたラジオの前で特攻隊員たちが頭上を太陽に照らされ、バタバタと倒れていった様を描写している。彼らの仲間の多くは、空に海に散り、その軍服のポケットには高峰さんらかわいいアイドルのブロマイドが潜んでいたという…。
日中戦争下、戦地にいる日本軍兵士の慰撫、戦意高揚を目的に海軍省『戰線文庫』(1938年9月)、陸軍省『陣中倶楽部』(1939年5月)という、大衆娯楽雑誌の形態をとった慰問雑誌2誌が終戦間際まで発行された。だが、戦後、両誌は国会図書館にも所蔵されず、版元の出版社でのみ合本で保存され、長い歳月、存在すら知られることがなかった。本書は歴史の稀有(けう)な語り部である、これらの慰問雑誌の創刊号から終刊までの誌面を分析し、アイドルを代表とする銃後の人々の戦争動員の実態、言説を紹介したものである。
慰問雑誌の最大の特徴は人気絶頂の原節子、李香蘭、高峰秀子ら女優、歌手、ダンサーなど当時のアイドルが流行のスーツ、セーラー服、まさかの水着姿で蠱惑(こわく)的な笑顔とともに大挙して登場していることである。私が本書を書くきっかけになったのも、『戰線文庫』を発行した日本出版社(戦前の興亜日本社)で見た、誌面を彩る彼女たちの魅力に満ちたグラビアの衝撃が出発点である。取材の過程で、元祖アイドル、元「ムーラン・ルージュ」の明日待子さん(96歳)と、美人女優・月丘夢路さん(94歳)にお話を伺うという幸運に恵まれた。お二人の口から、戦火を逃れて行った芸能慰問や困難を伴った映画撮影の様子が生々しく語られた。既存の歴史書には触れられていない、もう一つの戦争の真実を多くの方に知っていただきたい、私の思いはその一点である。(2376円/旬報社)
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【プロフィル】押田信子
おしだ・のぶこ 出版社勤務を経て、フリー編集者として活動。横浜市立大学大学院共同研究員、昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。2008年上智大学大学院文学研究科修士課程修了、2014年横浜市立大学大学院都市社会文化研究科博士課程単位取得満期退学。メディア史、歴史社会学。共著に『東アジアのクリエイティヴ産業』(森話社)。
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