時代を作った人が亡くなったとき、あまりの活躍の幅の広さに肩書を訃報でどう書くか迷うことがある。永六輔さんもその一人だろう。
直近で印象が強かったのはラジオパーソナリティー。ただ、83年もの人生を俯瞰(ふかん)したとき、高度成長期の「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」などの名曲を忘れることができない。作詞家としての活動が「永六輔」の名を国民の脳裏に刻みこんだことは言うまでもない。
しかし、商業的な作詞活動は昭和40年代にやめてしまう。井上陽水ら才気あふれるシンガー・ソングライターが活躍し、「自分の詞に自分で曲を付けるのが正しい」と思ったからだ。実はもう一つ理由があった。「(巨額の)印税を頼りにしていると、等身大でいられなくなる不安があるから」。10年前、講演会に向かう電車の中で取材したとき、そう明かしてくれた。
「等身大」は、永さんの信条だったのではないか。30年代の伝説的バラエティー番組「夢であいましょう」に放送作家として関わるなど草創期からテレビを支え、「遠くへ行きたい」などで自身も出演したが、「影響力が大き過ぎる」と思うようになり、次第にテレビから足が遠のいた。「『等身大でいること』という父の教えがあったから」。講演後、疲れていたのに、そう笑顔で返してくれたことが忘れられない。