【歴史インサイド】
京都市上京区のマンション建設地で行われた発掘調査で、織田信長が室町幕府第15代将軍、足利義昭のために築いた旧二条城跡で造られた堀跡が見つかった。石垣を備えた内堀と外堀の後に造られた素掘りの堀で、義昭が後に対立した信長の攻撃を恐れ、対戦に備えた“第3の堀”だったとみられている。この発掘現場近くでは、13代将軍、足利義輝の御所「武衛陣第」の深さ2メートルの堀も出土した。平地が広がる京都は防御に難点があるといわれている。室町時代の権力者たちは巨大な堀で防御力を高めていたとみられ、後に豊臣秀吉や徳川家康に引き継がれた“天下人による平地の城造り”の源流をみることができる。
義昭時代の二条城
義昭時代の堀跡は城の南部分で確認された。幅7メートルで、2段底となっており、南側の深さは1・9メートル、北側は3・2メートル。
発掘調査を担当した古代文化調査会の小松武彦主任は「地上から見下ろした瞬間、立ちすくむような堀の深さには驚いた」と振り返る。
信長は永禄12(1569)年、復権させた義昭のために二条城を短期間で造営した。