「天下人」秀吉と家康も模倣? 平地の城造り…源流は「最後の将軍」の恐怖心 (1/5ページ)

2016.5.28 17:13

室町幕府第15代将軍、足利義昭が織田信長からの攻撃を恐れ、造ったとみられる旧二条城跡の〝第3の堀〟(右下)。近くでは13代将軍、義輝の御所「武衛陣第」の堀も見つかった。巨大な堀で防御力を高める平地の城造りの源流をみることができる

室町幕府第15代将軍、足利義昭が織田信長からの攻撃を恐れ、造ったとみられる旧二条城跡の〝第3の堀〟(右下)。近くでは13代将軍、義輝の御所「武衛陣第」の堀も見つかった。巨大な堀で防御力を高める平地の城造りの源流をみることができる【拡大】

  • 旧二条城跡から見つかった足利義昭が造ったとみられる〝第3の堀〟=京都市上京区
  • 「武衛陣第」を巡っていたとみられる堀跡(古代文化調査会提供)

【歴史インサイド】

 京都市上京区のマンション建設地で行われた発掘調査で、織田信長が室町幕府第15代将軍、足利義昭のために築いた旧二条城跡で造られた堀跡が見つかった。石垣を備えた内堀と外堀の後に造られた素掘りの堀で、義昭が後に対立した信長の攻撃を恐れ、対戦に備えた“第3の堀”だったとみられている。この発掘現場近くでは、13代将軍、足利義輝の御所「武衛陣第」の深さ2メートルの堀も出土した。平地が広がる京都は防御に難点があるといわれている。室町時代の権力者たちは巨大な堀で防御力を高めていたとみられ、後に豊臣秀吉や徳川家康に引き継がれた“天下人による平地の城造り”の源流をみることができる。

 義昭時代の二条城

 義昭時代の堀跡は城の南部分で確認された。幅7メートルで、2段底となっており、南側の深さは1・9メートル、北側は3・2メートル。

 発掘調査を担当した古代文化調査会の小松武彦主任は「地上から見下ろした瞬間、立ちすくむような堀の深さには驚いた」と振り返る。

 信長は永禄12(1569)年、復権させた義昭のために二条城を短期間で造営した。

しかし、権力の回復を目指した義昭は、信長の強引な政治手法に…

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