「日本最大の繊維卸団地」といわれ、42年余りの歴史を持つ「新大阪センイシティー」(大阪市淀川区)が建て替えのため3月末で休館する。一般客も買い物ができる繊維問屋街として知られたが、中年以上の男性の間では、女性モデルを使った70年代の販促ポスターを懐かしむ向きも多いに違いない。ヘソ出し、胸出し、セミヌード、パンチラ…。公共の場に堂々と掲げられた大胆な写真は今ならタブーかもしれない。地味な問屋のイメージを一変させた、その衝撃のお色気路線を振り返る。
センイシティーは大阪万博を翌年に控えた昭和44年9月、JR新大阪駅の北側に繊維卸問屋の専門街としてオープンした。戦後の闇市の名残をとどめた大阪駅南側の繊維問屋街が、大阪駅前の再開発に伴い引っ越してきたのだ。
開業当初は3つの建物(1~3号館)に350社が入居。総工費約110億円、延べ床面積約14万平方メートルという空前の規模の問屋街は高度成長の波にも乗り、九州や中国、四国方面の仕入れ業者らでにぎわい、活気にあふれた。
開業間もない東海道新幹線の新大阪駅近くで、日本列島のほぼ中央にあることから、当時は「日本列島へそ番地」や「センイ卸しの新幹線」がキャッチフレーズ。「ドまんなかセール」と銘打った売り出しも行われた。