【時刻表は読み物です】臨時特急運転も 万博輸送の奥の手だった「寝台列車ホテル」
2025年国際博覧会(万博)の大阪開催が決まった。約1250億円と試算される会場建設費の負担とともに、大きな課題となるのがアクセス整備だ。予測される来場者約2800万人をどうさばくか。前回は1970年大阪万博の観客輸送に、国鉄が新幹線の編成増強、在来線と新幹線をリレーする臨時列車を設定したことなどを取り上げたが、今回はそのほかの万博で展開された輸送作戦を紹介する。
博覧会国際事務局(BIE)が公認する万博は、2025年大阪万博が国内6度目。3度目が1985年に茨城・筑波研究学園都市で開かれた「国際科学技術博覧会」。いわゆる「つくば科学万博」だ。「人間・居住・環境と科学技術」をテーマに3月17日から9月16日まで開催され、約2033万人が訪れた。
「国鉄監修 交通公社の時刻表」の85年6月号を開いてみよう。付録ページに「科学万博-つくば’85交通案内」が掲載されている。開催期間中、臨時駅「万博中央駅」が国鉄常磐線の牛久、荒川沖間に開設されていることなどが分かる。
そして、目につく案内が「エキスポドリーム号(寝台列車ホテル)」だ。この列車の運行形態がユニークだ。乗客は土浦で21時37分から47分の間に乗車し、各自の寝台を利用する。列車は同駅の留置線まで走行して明朝まで停車。そして7時38分に再び、土浦のホーム線に戻り、同53分に9.2キロ離れた万博中央へ出発し、8時3分に到着。ほとんど走らない列車だが、乗客は横になって休めた。
運転されたのは6月1日から9月15日(出発日)。会場付近の宿泊施設は不足ぎみで、夏から開催終盤に向けて観客が増えることが予想されたため、設定された。12両編成の寝台電車583系か9両の寝台客車20系が充当され、定員は電車が447人、客車が420人となかなかの規模。車内では飲み物やおみやげ品、記念弁当などが売られたという。寝台券は3千円。当時のB寝台料金5千~6千円に比べて格安だ。
同じ形態の列車を90年代前半、JR西日本が走らせている。「ナインドリーム甲子園」という新大阪発甲子園口行きの寝台列車で、甲子園球場で開かれる高校野球全国大会を見に行く乗客を運んだ。大阪駅で夜を明かし、早朝に甲子園口に到着するダイヤだった。
1981年に神戸のポートアイランドで開かれたのは「ポートピア博」。こちらはBIEに関係ない地方博。約半年間の開催で約1610万人が集まった。
国鉄は北陸方面から神戸への利便性向上のため、週末を中心に富山発三ノ宮行きの臨時特急「ポートピア」を運行した。485系電車を使用。行き先方向幕などは「臨時」の文字だけで、ポートピアという列車名が分かるのはサボ(車体横の差し込み板)だけという地味さにがっかりしたことと、三ノ宮に到着後、はるばる30キロ近く離れた大久保まで回送されたことに驚いた思い出がある。
2025年万博や20年東京五輪・パラリンピックなど、この先、ビッグイベントを控える。列車ホテルなどは値段を抑えれば、民泊を選択している訪日外国人客には受け入れられるような気もする。列車を留置するスペース、寝台設備を備えた余剰車両がほとんどないなど課題はあるが、列車の姿を想像するだけでも楽しい。(鮫島敬三)
■【時刻表は読み物です】1970大阪万博に伝説の臨時列車「エキスポこだま」があった を読む
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