マタギになれない猟師 冬山で1人、自然と対峙する男気

高論卓説

 昔は熊1頭仕留めれば、それだけで数カ月間、家族を養うことができたそうだ。それほど野生の熊はタンパク源として、あるいは医薬資源として貴重だった。熊打ちマタギの歴史は古く平安時代にまで遡(さかのぼ)るという。猟師と呼ばれる他の鉄砲打ちとは別に、マタギには彼ら独自の宗教観や尊ぶべき生命の倫理観がある。なぜならマタギの主たる職場である山々は日本では昔から修行の場として敬われ、修験者が命をかけて徘徊(はいかい)し神々の加護を受けながら精神と肉体を鍛える神聖な場であったからだ。

 群馬県の北部、みなかみの山中で冬の間、鉄砲を担いで雪の中をはいずり回っている阿部達也さんは自分はまだ猟師であって、マタギの域には達してないという。みなかみ町にある高級旅館、尚文の料理長だが、冬の間は板場に立つこともまれで経営も料理も兄の尚樹さんに任せきりだ。本業を放り出しマタギとしての道を極めるために極寒の山に籠もる。なぜ達也さんはそこまでマタギにこだわるのか?

 谷川岳の麓で生まれ育ったから小さな頃から森や渓流、そしてそこにすむ動物たちは身近な存在だった。遊び場として山と里山を行き来しているうちに山の持つ不思議さ、神聖さ、森や祠(ほこら)や古木にすむ精霊の気配を強く意識するようになった。

 達也さんのこだわりは猟犬を使わないこと、全て人力だ。獣道もない雪山で足跡を追い、根気強く獲物を追い詰める。自然という大宇宙の中で風や雪のにおいを嗅ぎ、獣の気配を追跡しながら動物と一対一の勝負を挑む。達也さんが自分はスポーツハンターではないという理由がここだ。山の神の加護もあり、幸い獲物を仕留めることができたときは山の精霊に感謝し仕留めた命を敬い、「もったいない、もったいない」と言いながら全てを食して獲物に感謝する。

 しかし昨今、原生林の減少や禁猟化によりマタギも猟師も害獣駆除の免許を持つハンターの数さえ減少している。マタギと呼ばれる長老たちの高齢化も進んでいる。が、一方、田畑を荒らす害獣は増え続けている。

 スキーで高校時代にインターハイに出場した。東京でサラリーマン生活も経験した。だが山への恋しさは断ち切れず結局、故郷のみなかみ町に戻った。

 マタギへの道を極めるのが達也さんの夢だが、現実問題としてたとえマタギの道を極めたとしてもそれを専業として生きていくことは容易ではない。ジビエ料理が密かなブームとはいえ、そもそも安定した市場も需要もない、自然界が相手なので需要があっても直ちに供給ができるわけでもない。

 雪焼けした顔から白い歯がこぼれる。そんないちずで不器用な生き方をする達也さんの挑戦はこれからも続く。40過ぎて、かみさんがいて、子供がいても、まだ自分の夢を追いかけている。

 日本にはいまだにこんな絶滅危惧種みたいな男がいる。思い詰めると、いちずな職人かたぎの男だけに、余計なお世話と言われるだろうが、こんな日本男児はぜひ応援したい。きっと今日も達也さんは極寒の山中で指先に息を吹きかけながら1人で潜んでいることだろう。

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【プロフィル】平松庚三

 ひらまつ・こうぞう 実業家。アメリカン大学卒。ソニーを経てアメリカンエキスプレス副社長、AOLジャパン社長、弥生社長、ライブドア社長などを歴任。2008年から小僧com社長(現職)。他にも各種企業の社外取締役など。69歳。北海道出身。