2020.6.4 06:55
新型コロナウイルスの感染拡大で医療物資が逼迫(ひっぱく)する中、奈良県上牧町の縫製会社「ヴァレイ」が国の要請を受け、不織布の医療用ガウン10万枚を急ピッチで生産している。地元の靴下メーカーだけでなく、アパレルメーカー、ANAグループのボランティアも巻き込みながら、一丸となって窮地を乗り越えようと奮闘している。(田中一毅)
自宅を縫製工場に
「医療用ガウンが不足しています。社長のところで縫えないですか?」
4月上旬、経済産業省の担当者から縫製会社、ヴァレイを営む谷英希社長(30)のもとに一本の電話がかかってきた。医療現場では数千万枚単位で医療用ガウンが不足しており、本来使い捨てすべきガウンを数日間着続けるケースもあったという。7月末までに、不織布の医療用ガウン10万着を納めることになった。
ヴァレイは谷さんが平成28年に起業したアパレルベンチャーだ。「KEITA MARUYAMA」などの有名ブランドからも縫製を請け負っている。昨年、中小企業庁の「はばたく中小企業・小規模事業者300社」に選出され、その縁もあって経産省から声がかかった。
従業員はわずか約20人だが、子育てや介護、転勤、廃業などの事情で離職を余儀なくされた全国各地の縫製職人に、自宅で仕事をしてもらうネットワーク「マイホームアトリエ」を構築して、現在、約200人の縫製職人に仕事を依頼できる仕組みを持っている。
ただ、4月、ガウン縫製の要請が来るまでは「仕事がまったくない状態だった」と打ち明ける。コロナ禍で同社も売り上げが激減。5月の売り上げも前年比95%減となる見通しだった。国からの仕事は「医療従事者を救うだけでなく、収入が減った職人を救うことができる」と二つ返事で引き受けた。
自社製も5万着
谷さんは「受注分だけではなく、自社でも作らないと医療用ガウンは足りない」と憂慮。国からの発注分10万着に加え、洗っても撥水(はっすい)などの効果が約2週間持続する自社製ガウン5万着も生産することを決めた。
現在は奈良県内など5カ所にある協力工場とマイホームアトリエに登録する職人約60人が、1日約4千着のペースで縫製している。すでに自社製ガウンは1万着が完売した。
もっとも、小さな縫製会社が計15万着の生産を一手に担うのは限界がある。そこで、検品作業などを有償で行うサポートメンバーを募集したところ、コロナ禍で打撃を受けた飲食店の従業員や留学生ら30人以上が登録。ANAホールディングス(東京都)からも協力の申し出があり、客室乗務員や操縦士ら1日当たり約30人のボランティアが、ガウンの腰に巻くひもの縫製や完成したガウンの検品、出荷などの作業にあたっている。
また、ヴァレイが拠点を置く奈良県は、全国有数の靴下の産地。自社製ガウンは、地元の靴下メーカーに袖口の生産を依頼し、普段は医療用の衣料品を取り扱っていないアパレルメーカーも販売代理店の一つに加わった。
「地元の経済を回すのも大切な役割ですから」。同じく収入激減の憂き目に遭った衣料品業界を救済することはできないか-。谷さんの思いはそこにある。
また、感染拡大の影響で福井県にある繊維工場では大手アパレルメーカーの生産ラインがストップし、大量の生地の在庫を抱えることになったことを受け、その在庫を仕入れ、自社製ガウンとして生まれ変わらせる。
国産の存在価値
今回、谷さんは国産の重要性に改めて気づいたという。「たとえ海外からの物流が止まったとしても国内に物資を供給できる態勢が必要。医療用のマスクやガウン、そしてお米…。生活や医療に関する、人の命にかかわるものは日本で作っていかなければならない」
そもそも谷さんが事業を始めたのも、国内縫製にこだわってきたためだ。
経産省の工業統計によると、国内繊維産業の事業者数は、この20年で5分の1以下に減った。一方で、国内市場への衣類の輸入浸透率は増加し続け、30年には97・7%となった。海外の安い加工賃の縫製が増えたことで、国内の縫製工場が廃業した。仕事を失った多くの職人の高い技術を生かすために谷さんが築いた「マイホームアトリエ」はある。
コロナ禍によって、海外からの物流は簡単にストップしてしまうことも証明された。感染が世界的に収束すると海外製が再び流通するとみられるが、「国内生産のルートを確保しなければ、次の危機が訪れたときに立ち向かえない。収束後も、たとえ100枚と少ない数でも作り続けたい」と決意する。
谷さんは「今、僕たちが感謝され、注目されるのは不安があるから。物資が足りていれば人は忘れる。医療現場で働く人に『日本で製造されているから決してなくならない』と安心感を与えて、一秒たりとも僕たちの顔を想像することがなくなればうれしい」と話している。