2018.7.10 06:21
人工知能(AI)を使って日本の教育を変えると初めて聞いたときは、達成できそうもない目標のような印象を持った。AI技術の不透明な性質やそれを取り巻く状況の流動性と、教育制度に関する官僚的な決定の遅さを組み合わせたら、停滞といらだちの嵐が起こって資金がすぐに尽きてしまうのが目に見えていると思ったからだ。
しかし、2017年4月に「atama plus(アタマプラス)」(東京都中央区)を立ち上げた稲田大輔CEO(最高経営責任者)は150年間ほとんど変わっていない教育をAIで改革する道を見つけたようだ。
主要顧客は学習塾
--アタマプラスのサービスを説明してください
「AIを使って、中高生向けに一人一人が最短ルートで学べるオーダーメードの授業を提供します。教材は解説動画、演習問題、復習問題、テストなどから構成され、生徒一人一人の習熟度、学習スタイルや学習履歴などに基づいてAIが最も効率的な組み合わせを選んでカリキュラムを自動作成します」
--サービスを一つの教科に絞っていますか
「現在僕たちが提供しているのは数学ですが、もうすぐ物理と英文法の授業を展開する計画です。将来的にはもっと教科を増やしていきます」
--教育業界は保守的で、革新的な新サービスを売り込むのが難しい傾向にありますよね。アタマプラスの顧客は
「主要顧客は学習塾です。アタマプラスのソフトウエアは生身の講師に取って代わるように設計されたものではなく、複数の生徒を見なければならない講師が、問題の解き方を教えることに時間を取られることなく、効果的な学習指導に専念できるように助けるものです。日本の教育現場が総じて言えば保守的なのは事実ですが、学習塾間の競争は激化していますから、イノベーションの採用には積極的です」
--なるほど。塾や予備校なら、生徒が志望校に合格するかどうかで導入効果を計測しやすいですしね
「はい。僕たちは世界的に標準となりつつある、テクノロジーを使ったオーダーメードの教育を日本中の生徒たちに届けたいと考えています」
--三井物産での順風満帆のキャリアを捨てて独立して起業した動機を教えてください
「三井物産は素晴らしい会社で、僕は多くの機会をいただき経験を積むことができました。ブラジルでの研修を経て教育事業立ち上げへの意欲が湧き、ベネッセとの合弁会社をブラジルで立ち上げました。その事業は頓挫しましたが、僕はブラジルに残り現地大手のEdTech(エドテック、教育と技術を融合させ、ビジネス領域)企業に出資して、そこで役員として働きました。帰国後も、三井物産の中から、日本の教育現場にもブラジルのように最先端のEdTechを普及させたいと奔走しましたが、大企業でさまざなな大企業と事業を進めるのはスピードに限界があるように感じ、何もないところから自分で始めたほうがいいのではと考えました」
--その決断に対する家族や同僚の反応は
「会社は温かく送り出してくれましたし、ほとんどの人が応援してくれて驚くほどでした。東京大学の学生時代の非常に優秀な友達がリクルートとマイクロソフトで働いていたので、彼らに声をかけました。僕も含めて、3人とも会社での仕事が気に入っていましたが、何か一緒に始めたいなという話は何年もしていたので、『これだ! 今しかない』と話しました」
--それですぐに起業した
「1人は既婚で2人の子供がいたので、このプロジェクトがうまくいくという十分な確信を持って奥さんを説得し、行動に移すのに数カ月かかりました」
--才能あふれる人材が大企業を辞めて起業するケースを目にすることがどんどん増えています。三井物産出身の人も多いように感じます。いい潮流ですね
「確かにそうですね。非公式ですが、三井物産出身起業家のコミュニティーもありますよ。会社は僕らのことを応援してくれています。三井物産にとってもスタートアップのコミュニティーに近いことが有益なのだと思います」
--世界を見渡すと、EdTechのスタートアップはできるだけ多くの人に利用してもらえるような消費者向けのプラットフォームを設計したり、AI自体が先生の役割を果たすような製品を作ったりする傾向が強いですね。なぜアタマプラスは学習塾への導入という異なるアプローチを採用したんですか
「アタマプラスはAI技術を駆使する会社ですが、僕たちは生身の人と人との関わりの重要性も理解しているからです。システムを展開するとき、実際に塾に出かけて講師が生徒と関わる様子を見に行きます。そして、生徒がアタマプラスのソフトウエアをどう使うか、AIとどう関わるかを直接観察するようにしています。その情報をAIのアルゴリズムに入力しますし、その情報がアルゴリズムの効果を検証するうえでも大切になります」
講師が効果的に介入
--AIが教師や講師に取って代わって、質の高い教育を誰でもより効率的に受けられるようになるという期待があります。他方、生徒の学びを直接見て助け、教育を改善していくのはAIよりも人間の知能の領域のように思えます。2つの考え方のバランスをどのように図っていく考えですか
「人間の知能もAIも重要で、相互に補完的な関係です。僕は基礎学力の習得には、生身の教師・講師が必要だと信じています。もしかしたら頭のよい上位1%の生徒は参考書やソフトウエアを使って1人で学習を進められるかもしれませんが、ほとんどの生徒には先生に質問しなければならないときがでてきます。もしかしたら、教科や問題そのものについてではない質問かもしれません。彼らが学習意欲を持ち続け、何をどう学ぶか理解するには生身の人間の導きが必要です。アタマプラスではタブレット端末を通じて、手が止まっている生徒、つまずきが見られる生徒、1人で問題が解けそうな生徒を講師に知らせることができるのが最大の強みの一つです。講師はそれを見てAIと生徒との関わりに介入してヒントを提示したり、褒めたりすることで、効果的に子供のやる気と能力を引き出すことができます。僕たちにとって生徒の学習時間を短縮することは重要ですが、それだけではなく、教える人がより良い教師・講師になるのに役立つツールを提供したいと考えています」
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教育現場には人の介入が必要だという考えは興味深い。これは、海外を中心に展開するEdTech企業のほとんどの主張に反する考え方だ。しかし、稲田氏が言うように、学びのプロセスは単に事実や問題の解き方を脳に流し込むだけではないのだろう。
知識やスキルはもちろん大切だが、それと同程度あるいはもっと重要なのは、私たちの教育制度、私たちが子供たちに何をどう教えるかが何よりも私たちの社会を定義するということだ。私たちはそれぞれが育った国、育った時代によって、皆が一連の知識を共有し、自国の歴史に関する認識を共有し、ある程度似たような体験を共有し、似たような壁に直面してそれを乗り越えて成長していくのだ。
教育を通じて得た体験は私たちが何者であるかの大部分を占める。もしかしたら、教育制度や教育業界をディスラプト(破壊)するのが難しいのはそれが理由かもしれない。
教育は効率と低価格によって必ずしも改善しない領域だ。個別指導での生徒の反発、教室で一緒に机を並べて学ぶこと、学ぶ者同士が数学の難しさについて文句を言い合い、問題が解けた喜びを分かち合うというようなとてつもなく非効率に思えることに、より大きな価値があるといえるのではないだろうか。
稲田氏はそれを理解した上で、AIによる教育改革を目指している。アタマプラスの挑戦は、生徒一人一人の学習体験だけでなく、社会全体を変える大きな可能性を秘めている。
文:ティム・ロメロ
訳:堀まどか
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【プロフィル】ティム・ロメロ
米国出身。東京に拠点を置き、起業家として活躍。20年以上前に来日し、以来複数の会社を立ち上げ、売却。“Disrupting Japan”(日本をディスラプトする)と題するポッドキャストを主催するほか、起業家のメンター及び投資家としても日本のスタートアップコミュニティーに深く関与する。公式ホームページ=http://www.t3.org、ポッドキャスト=http://www.disruptingjapan.com/