【浜松物語 「やらまいか」精神を訪ねて】(14)人の動きにメス入れ黒字に

2015.6.2 05:00

 □大須賀正孝・ハマキョウレックス会長(3)

 --日本がバブル景気を謳歌(おうか)していた頃、もうかっているうちに新しいビジネスを見つけようと考えた

 「運送業はいずれ頭打ちになると思っていた。ちょうどその頃、イトーヨーカドーさんから、同社が神奈川県内に新設する大規模流通センターのコンペに参加しないかと誘われた。コンペには名だたる大手も数社いて、うちが一番小さな会社だった。配送の品質などには自信があったが、他社よりも安いコストでなければ受注は難しい。うちは単なる当て馬だと思っていたが、採算ギリギリの金額で入札したら、受注が決まってしまった」

 --物流センターの立ち上げには相当苦労した

 「会社はもうかっていたから、『黙って運送をやっていればいい』とか『うちにできるわけはない』と、社内には反対の声が多かった。全社員を集めて『イトーヨーカドーさんのセンターの仕事をやってみたいやつはいるか』と呼びかけたが、手を挙げてくれたのは若手のドライバーだけだった。彼らと一緒にプロジェクトチームを組み、他社の物流センターを見学したほか、勉強会を繰り返し開いた。私はイトーヨーカドーさんのセンター近くに部屋を借り、1カ月のうち3週間はセンターに通い続け、仕事に専念した」

 --当時はまだ、サード・パーティー・ロジスティクス(3PL)という言葉は知られていなかった

 「うちが運送業以外の仕事に従事する転機になった。大きな仕事だったから、伊藤忠商事さんと合弁会社(スーパーレックス)を設立してセンターを運営することになったが、持ち株比率は当社が51%、伊藤忠さんが49%とさせていただいた。当時、量販店の物流センターはもうからないといわれていたが、他社のセンターを見学し、人の動きにメスを入れればもうかるようになると確信した。これまで『日替わり班長』制度を実施して無駄取りを続けてきたノウハウがあるから、センターの経営が赤字になることはなかった」

 --この仕事をきっかけに物流センター事業が成長し、今では(売上高の)96%以上を占めている

 「イトーヨーカドーの物流センターを成功させたという評判が広がり、たくさんの人が見学に訪れるようになった。日本中のお客さまの仕事をうちが全部やるわけにはいかないから、3PL協会を設立し、3PLの普及を手がけている」

 --単なるコストダウンではなく、物流通業で物流利益を増やすことが信条だ

 「もうけ主義はいけないが、逆に、利益を上げないとお客さまに失礼だと思う。だが、それもあくまで適正利益の範囲内であって、それを上回る利益はお客さまに還元している」

 --経営の神様といわれた松下幸之助氏も「赤字は罪悪である」と言っている

 「結局、適正利益を上げないと、お客さまについていけないし、商売が長く続かないということだ」

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