4日に首相に選出された岸田文雄氏が目指す「令和版所得倍増のための分配施策」の実現のカギをにぎるのは迅速性だ。岸田氏は看護師や介護士といった公的な職種を例に挙げ、「収入を思い切って増やす」と宣言。民間企業にも賃上げを促し、消費の活性化につなげるとしている。ただ、分配政策を進めるのであれば、財源確保が課題となることは避けられない。当面は国債発行で賄うにしても、いずれは財政面での制約から増税論が強まりかねず、月内に見込まれる総選挙を勝ち抜き、企業による賃上げを短期決戦で勝ち取る実行力が問われる。
「分断」を解消
「『分配なくして次の成長なし』も偉大な事実」。岸田氏は新政権誕生を決定づけた9月29日投開票の自民党総裁選後の記者会見で、所得の再分配を前面に打ち出す方針を示した。
中でも強調しているのが看護師や介護士、幼稚園教諭、保育士といった職種での給与引き上げだ。2020年の賃金構造基本統計調査によると、看護師の給与は平均毎月33万8400円、保育士は24万9800円にとどまる。岸田氏はこうした職種は「賃金が公的に決まるにもかかわらず、仕事内容に比して報酬が十分でない」と指摘。賃上げは他の民間企業の給与引き上げの呼び水にもなるとしている。
岸田氏はこの他、子育て世代の住居費や教育費の支援を進める考え。さらに大企業と中小企業の格差、大都市と地方の格差の解消にも取り組むとしている。岸田氏は「ひとつの企業の中でも株主や経営者だけでなく、従業員らにも適切に分配されているのか」として、企業に対して賃上げを求める方針だ。
岸田氏が「再分配」を重視する背景には、安倍晋三政権の経済政策「アベノミクス」に代表される規制緩和や構造改革に軸足を置く施策が「富める者と富まざる者の分断」を生んできたという意識がある。
総務省の労働力調査によると、日本の雇用者数(役員を除く)は新型コロナウイルス禍前の19年に5669万人に達し、第2次安倍政権発足間もない13年から約450万人増えた。正社員が192万人増えると同時に非正規社員も254万人増え、雇用拡大が実現した形だ。
一方、新型コロナ禍の影響は正社員と非正規社員で格差がある。今年8月の正社員の数は19年と比べて79万人増えたが、非正規社員の数は105万人減少。岸田氏は総裁選に際して、「コロナ禍で生活が苦しい」「バイトのシフトが減った」といった声に耳を傾けるとしていた。
増税論呼びかねず
ただ、再分配に重点を置く経済政策には財源の確保が欠かせない。岸田氏は幅広い国民の給与を引き上げることで生じる消費拡大が、企業による設備投資や研究開発を促し、こうした企業活動がさらに消費を喚起する好循環につながると主張する。とはいえ、給与の引き上げが実現するまでは政府の財政出動が頼みの綱だ。実際、岸田氏も「年内に数十兆円規模の経済対策を打ち出す」としている。
この場合に問われるのが、財政出動で経済を下支えしている間に迅速に給与を引き上げる実行力だ。企業が賃上げをためらう背景には、多くの企業が国際的な競争にさらされていることに加え、解雇規制が厳しく、70歳までの就業機会確保が企業の努力義務とされる日本では、企業が賃金の原資を「広く薄く分配する」ことが定着しているという事情もある。
財政出動頼みの状況が長引けば、財政健全化の必要性から、増税など国民負担を増やす政策を迫られる状況が生じかねない。岸田氏に求められるのは企業を賃上げに踏み切らせる環境を早急に整える戦略だといえる。(小雲規生)