家族の介護や世話をする子供「ヤングケアラー」。国の実態把握は緒についたばかりだ。当事者らは家族とどう向き合い、困難を乗り越えてきたのか。障害のある人の兄弟姉妹らが集う「静岡きょうだい会」の沖侑香里(ゆかり)代表(31)は子供時代を振り返り、「言葉にならない思いに耳を傾けてほしい」と話す。
沖さんの5歳下の妹は知的障害を伴う進行性の難病を患っていた。3歳になる頃には自力で歩くことが難しくなり、やがて支援なしに食事をすることもできなくなった。
妹を介護する母を手伝うのは、ごく自然なことだった。小学生の頃から、妹の食事をミキサーでペースト状にしたり、口に運んで食べさせたり…。入浴時の着替えやおむつ交換、たんの吸引なども担うようになっていった。
本音に蓋をして
介護の一端を担うことで勉強や学校生活に支障は出なかったが、周囲に妹のことをどう話せばいいのか戸惑うことは増えていった。障害があることが分かると話題にしたことを謝られたり、重苦しい空気が流れたりする。行き場のない思いが胸を覆うが、周囲に相談はできなかった。
「妹や母の大変さに比べれば、自分なんかが弱音を吐いてはいけない」。いつからか、自分の本音に蓋をしてその場をやり過ごす術を身に付けていった。
高校卒業後はマーケティングを学びたいと地元・静岡県を離れ、名古屋市内の大学へ。在学中、障害のある兄弟姉妹を持つ人たちが語り合う自助グループ「きょうだい会」と出会った。悩みや不安を共有できたことで「孤独」を抱えた心が救われた。揺れ動く思いを受け止めた上で、自分らしく生きることの大切さを考えるようにもなった。
県外で就職を決め、入社3年目を迎えた夏。母が倒れ、約2カ月後、この世を去った。末期がんだった。
悲しみの中でも、妹をどう支えていくか考えなければいけなかった。「今の生活に近い環境で穏やかに過ごしてほしい」。そんな思いはあったが、持病のある父に介護を任せることは難しい。無機質で薄暗い病院の病室で晩年を過ごす妹の姿は想像できなかった。
共有できる場を
介護休暇をとってグループホームなどの施設を探し始めたが、空きが見つからず、会社を退職。介護支援を受けながら、暮らせる部屋に妹が入居できたのは、しばらくしてのことだった。自らも地元で再就職し、妹の生活を見守りながら暮らせる態勢を整えた。
母の死から約2年後の平成29年夏、妹は21歳で息を引き取った。妹のことも、自分自身のことも大事に考えながら、走り抜けることができたと思う。
妹が亡くなった後、障害がある人の兄弟姉妹が抱える思いを伝えたいと講演活動を始めた。そこで知り合った仲間とともに「静岡きょうだい会」を立ち上げたのは30年11月。当事者らが、自らの思いを言語化して共有できる場があることの大切さを感じていた。
「子供の頃、自分のつらさを周囲に話していいのか、発信したところで分かってもらえるのか不安だった。『自分は一人じゃない』と思える場があるだけで安心できる。身近な人が抱える困難に思いをはせ、寄り添える。そんな社会が実現できるといい」(三宅陽子)
ヤングケアラー 「YOUNG(若い)」と「CARER(世話する人)」を組み合わせた言葉。英国で生まれたとされる。日本ケアラー連盟などによると、大人が担うような家事や病気や障害がある家族の介護を日常的に行っている18歳未満の子供を指す。自由な時間が取れず、学業や進路に影響を及ぼすだけでなく、健全な発育や人間関係の構築を阻むとされている。
厚生労働省と文部科学省による実態調査では、中学生の5・7%(約17人に1人)、高校生(全日制)の4・1%(約24人に1人)に上ることが判明。当事者の6割超が誰にも相談したことがなく、表面化しづらい状況が浮かび上がった。