話題・その他

京のこだわり「伝統は法律より厳しい」 八ツ橋創業年訴訟は続く (1/2ページ)

 京銘菓「八ツ橋」の老舗「聖護院八ッ橋総本店」が掲げる創業年は間違っている-。別の老舗「井筒八ッ橋本舗」がこう訴え、創業年の表示差し止めを求めた訴訟で、京都地裁は6月、原告の訴えを棄却した。注目されたのは「歴史の古さが消費者の行動を左右する事情とはいえない」とする判断。井筒側は「創立の年月日は重要な信頼の根拠」「この問題は、京都の人にしか分からない」として控訴した。背景には“古都”ならではの価値観があるようだ。(井上裕貴)

 堅い歯応えにニッキの香り

 今や京都土産の定番となった八ツ橋。米粉に砂糖やニッキなどを加えて練った生地を焼いた「堅焼き煎餅」と、戦後に製造が始まった生地を焼かない「生八ツ橋」があり、平成30年の京都市の調査では観光客の4割がいずれかを購入しているという。

 今回訴訟の対象となった八ツ橋は、長方形の中心にアーチ状の丸みがついた堅焼き煎餅タイプだ。聖護院側は「米粉と砂糖と水のみで仕上がった生地ににっきを漂わせ、琴の形に焼き上げた」、井筒側も「パリッとした食感と、たちまち広がるニッキの香り」と、それぞれホームページでPRしている。

 起源の有力説は2つ

 訴訟は、聖護院側が創業を元禄2(1689)年と表示しているのは事実と異なるとして、井筒側が表示の差し止めを求めた、というものだ。

 創業年のポイントとなるのは八ツ橋の起源。ただ、これには諸説あり、有力なのは「検校(けんぎょう)説」と「三河説」の2つとされる。

 検校説は江戸時代に京都で活躍した盲目の筝曲家、八橋検校をしのび、琴の形を模して作られたとするもの。井筒側はこの説に立ち、自らの創業を文化2(1805)年とする。

 一方、三河説は平安時代中期の歌物語「伊勢物語」に出てくる三河国八橋(現在の愛知県)にあった橋が由来だ。大正時代に京都府が出版した書物には、三河説を採用した上で、元禄2年に製造販売が始まったと記載されている。

 判決などによると、聖護院側は当初は三河説を主張していたが、遅くとも昭和32年ごろには創業年を元禄2年としたまま検校説を唱えるようになった。これに対し、井筒側が「聖護院の説には根拠がなく、消費者に八ツ橋の来歴や品質を誤認させる」として平成30年に提訴。以後、2年間にわたり、法廷で争いが続けられた。

 消費者が重要視するのは…

 裁判で争点となったのは、創業年がどれほど消費者の選択に影響を及ぼすか。井筒側が証拠として提出したアンケート結果では、「値段や味、量が同じで創業年が異なる2つの八ツ橋からどちらを選ぶか」という質問に対し、古い方を購入すると答えた人は29・5%に上り、新しい方と回答した2・5%を大きく上回った。

 もっとも、実際に購入する際は価格や味を重要視するという回答も8割近くに上っており、消費者にとって創業年の重要性を決定づけることはできなかった。

 判決で京都地裁は「聖護院が主張する創業年は、消費者に江戸時代に創業したと認識させる程度のもの」と指摘。「長い伝統は消費者にとって大きな意味はなく、創業年の表示が消費者の選択を左右するとまではいえない」と言及し、井筒側の訴えを退けた。

Recommend

Ranking

アクセスランキング

Biz Plus