東京電力福島第1原発事故で一部区間で不通が続いたJR常磐線が9年を経て全線復旧した。歓迎ムードが広がるが、沿線の自治体では住民が1割以下となるなど激減しており、地元には「鉄道が通っても帰還する人はそれほど増えない」と冷ややかな声も上がる。「復興五輪」を理念に掲げる政府は東京五輪から逆算して駅周辺だけの避難指示解除を進めてきたとみられる。政府関係者は「民間の一つの鉄道路線とはいえ、完全に政治マターだ」と官邸主導をにおわせた。
3町の住民が94%減
「3月14日にJR常磐線がいよいよ全線で開通します」。1月17日、政府の原子力災害対策本部会議に出席した安倍晋三首相が、民間企業であるJR東日本の社業について突然公表した。全線再開の日程は地元の最大の関心事だった。
運行再開をめぐる決定の場は常に官邸だった。全線再開の方針は2015年3月の復興推進会議で打ち出された。1年後には「20年3月末まで」と再開時期も明示された。方針発表は首相自らによる宣言が定着。政府与党内で常磐線は“復興の象徴”としてアピールする機運が生まれていった。
与党幹部は「常磐線は絶対に廃止できない。再開を前面に打ち出すことで、福島の復興を着実に進めるという国のメッセージになる」と強調。JR東日本の管内では、大きな津波被害を受けた岩手、宮城両県の一部の鉄道はバス高速輸送システム(BRT)での復旧となった。
全線再開は地元の悲願。沿線の広野町でホテルを経営する会社の役員、志賀勝彦さん(73)は「県外からも人が来やすくなって、宿泊業には恩恵があるだろう」と語った。浪江駅近くでも6月にホテルをオープンさせる予定だ。
しかし運行再開に合わせて政府が3月4~10日にかけて避難指示を解除した地域は、再開区間にある3駅の周辺が主で新たに帰還する住民はいない。3町に居住する人は事故前の計約3万4000人から、1日時点で約94%減の計約1940人に落ち込んだ。
商店街整備の声も
既に運行が再開していた周辺の駅でも利用者の減少は顕著だ。17年4月再開の浪江駅は10年度に734人だった1日当たりの平均利用者が、18年度は24人にまで減った。17年10月再開の富岡駅も474人から、225人と約半分になっている。
地元自治体は利用促進策に頭を悩ませている。県外に避難している町民や、原発作業員への利用の呼び掛けに加え、駅前商店街の整備などが挙がるが効果は未知数だ。
原発被災地では避難指示解除が遅くなるほど、実際に帰還を望む人の割合が減少する傾向にある。沿線の男性住民は「常磐線が再開しても駅前には商店街も何もない。そんなところに戻っても生活できない」と話した。
【用語解説】JR常磐線
東京都から宮城県までの太平洋沿岸を走る路線で、日暮里(東京都荒川区)-岩沼(宮城県岩沼市)の約344キロ。1898年開業。品川・上野-仙台をつなぐ特急も走る。福島、宮城両県では、東日本大震災の津波で駅舎や線路が流失し、東京電力福島第1原発事故で沿線が帰還困難区域に指定されるなどして不通が続いた。最後の不通区間の富岡-浪江では代行バスで乗客を運んだ。14日のダイヤ改正でこれまで臨時駅の扱いだったJヴィレッジ駅(福島県楢葉町)が常設駅となった。