--70周年の歩みを振り返ると、ビーフンを日本の食生活に広めるのに苦労した
「台湾出身の創業者で祖父の高村健民は1950年、第二次世界大戦後に台湾から引き揚げてきた多くの日本人が『(台湾で親しんだ)懐かしいビーフンを食べたい』という声に応えて、10坪の自宅兼工場で製麺を開始した。神戸は縁もゆかりもない土地だったので、並々ならぬ苦労があったはずだ。祖母は国鉄(当時)に乗って西日本を営業で回り、祖父を助けたという」
「60年に『ケンミン焼ビーフン』を発明したが、58年に日清食品が日本初の即席ラーメンを発売し即席ラーメンが広がる中だった。しかもラーメンの瞬間油熱乾燥法は、油で揚げられないビーフンに使えず、独自に熱風乾燥法を考案して課題を乗り越えた。結果として誕生当時からノンフライ麺を実現し今のヘルシーイメージにつながった」
--2代目は
「2代目の父、一成は一人でも多くの人にビーフンを食べてもらうため86年からテレビコマーシャル(CM)を制作・放映した。当時の売り上げは20億円程度で今の4分の1。大量にCMを流すだけの予算がなかったため、『ピーマン入れんといてや~』という一度聞いたら忘れられない印象的なフレーズで認知度を高めた」
「87年にタイにビーフン専用工場を建設した。ビーフン生産に欠かせないインディカ米は80年代に入手困難になり、適したコメを探しに行ってタイで見つけた。人件費や原料のコスト削減を目的に海外進出する日本企業が多い中、コメだけでビーフンを作りたいという祖父の夢を実現するためタイ工場を設立した。祖父は生前、『米は五穀の王様』と呼び、コメからできたビーフンなら人々の健康に役立つと信じていた。あくまでも素材にこだわった商品づくりを目指すためのタイ進出だった」
--サッカーJ1の「ヴィッセル神戸」のユニホームスポンサーになった
「一昨年の年末に飛び込みで提案に来たのがきっかけ。神戸は私が生まれ育った街であり、会社も70年間お世話になっている。神戸市民として元気な神戸に貢献したい。市民が神戸を好きになり、誇りを持たないと神戸というブランド価値は高まらないと考え、応援できるチャンスと快諾した」
「(洋菓子ブランドのアンリ・シャルパンティエなどを展開する兵庫県芦屋市の老舗メーカー)『シュゼットホールディングス』の創業家2代目、蟻田剛毅社長から『スポンサーになって、一部の社員から家族が喜んでいる、と報告されてうれしかった』と聞いて、社員が誇りを持てると感じた。その通りで取引先から『ヴィッセル神戸のスポンサーなの』と話題にされる。社員に(ヴィッセル神戸のホームスタジアム)ノエビアスタジアム神戸のVIP席を開放し、観戦を楽しんでいる。スポンサーになった価値は十分にある。私も応援しており、今年の元日に国立競技場で行われたサッカーの天皇杯決勝に家族で行き、優勝を喜んだ」