現在、世界の時価総額上位10社のうち、8社はアメリカ企業で、2社は中国企業のアリババとテンセントである。なぜ日本企業は勢いを失ったのか。一橋大学大学院の楠木建教授は、「停滞は時代の流れの必然。だからこそ、個別の企業の競争力がますます重要になる」という――。
応仁の乱の頃よりも日本の治安は良くなった
テンセントは1998年に創業してからの20年間、猛烈な勢いで成長し、時価総額は世界第9位(2019年10月末現在)にまで躍進しました。同じ時期、日本経済は「失われた20年」と称され、完全に停滞しているといわれてきました。実際にその通りです。
それなら日本経済や日本企業は、テンセントに何を学べば停滞から脱することができるのか? 『テンセント 知られざる中国デジタル革命トップランナーの全貌』(プレジデント社)を読めば、そんな教訓を得たくなるかもしれません。
しかし、私がいつも強調しているのは、「高度成長期の後の一定期間の停滞は必然」ということです。
人間は、ある2時点間の変化率でしか、物事を評価できません。ある時点とある時点との比較で、伸びたとか停滞しているとか言っているだけです。したがって物事の評価は、2つの時点をどう取るかによって大きく変わります。
「日本の治安も良くなったよな、応仁の乱の頃に比べると」という言い方が、成り立つわけです。そんな話をする人はもちろんいませんが、起点と終点をどこに取るかによって、すべての価値判断が決まるわけです。
何をもってピークとするかによりますけれども、かりにバブル期をピークとするならば、日本経済はずっと停滞しています。バブル期を起点に取り、現在を終点に取れば、そういう結論です。
かたや中国経済は、この20年で急成長しました。なぜなら、それ以前がどうしようもなく低迷していたからです。皆が人民服を着て、交通手段は自転車で、人民公社の管理の下で産業の生産性は伸びなかった。
しかし、その後の20年、人口がものすごく多く、そこそこやる気のある国民がそろっていて教育の平均的水準も高いなど、さまざまな条件が備わったために、ここまで成長したのです。
今の時代が当たり前と思うのがまともな経営者
日本も中国も、かつてイギリスやアメリカも経験した急激な成長は、低い起点と高い終点を2時点に取って比較しているための評価です。では、日本がもう一度高度経済成長するために、最もありうる手段は何か? 極論すれば、もう一度戦争をすることです。
しかも日本国内の実質的な富が大きく破壊されるような戦争を経験することです。日本が備えている基礎的な条件を考えると、そのあとは間違いなく高度経済成長する。しかし、誰がそれを望むでしょうか。
急激な成長というのは、人間でいえば青春期みたいなものです。訪れる年齢は異なるかもしれませんが、どんな人の一生にも5年、長くても10年、やってくる時代です。その時代が異常なのであって、日本経済でいえば、そうではない今が通常です。バブルから現在を見れば停滞でも、今が真っ当で正しい時代だと考えれば、まともな経営者には「閉塞感だの、右肩下がりだの」と嘆いている暇はないはずです。
「日本企業」という主語はもうやめよう
面白いのは、「日本企業」と国の名前を冠して、ある種の経営モデルみたいなものを議論しているのは、世界中で日本だけだということです。外国人には、非常に奇異に思えるようです。BMWやシーメンスは、ドイツ国籍の企業ですが、「ドイツ企業」ではありません。それぞれに異なった固有の経営をしています。ドイツ的な雇用慣行や法規制はあるけれども、「ドイツ企業」や「ドイツ企業的経営」という概念は存在しないのです。
皆が大きな帆を掲げて同じ方向へ進んでいる高度成長期には、「日本的な経営」という何らかの共通点があったかもしれません。しかし、今はみんなバラバラです。新日鉄もメルカリも日本の企業なのに、「日本的経営だ」と一括りに論じても意味がありません。「日本企業」「日本的経営」「日本企業の競争力」といった主語の使い方や問題の立て方は、もうやめるべきです。
今の日本では、個々の経営力が問われています。現に、失われた20年や30年などとひと口に括る時期からでも、伸びている会社や稼ぐ会社は出てきています。独自性をもって、日本はもとより世界に対しても価値を発揮できている会社が、たくさんあるのです。
社会的な発言力のある層や経営を担っている層は、いまだ「高度成長期体質」なのかもしれません。統計資料を見れば成熟期に入って久しいことがわかるのに、切り替えができない。高度成長期を経営者として肌で経験してはいないくせに、何か申し送られているのか、それとも身体に染みついてしまっているのでしょうか。