歴史的な記念日であった10月22日、国際舞台で大活躍された緒方貞子さんが、92歳で鬼籍に入られた。謹んで哀悼の意をささげたい。日本人女性として先進国のみならず、国連難民高等弁務官として発展途上国などで活動され、世界の国々から評価を得た日本人をほかに私は知らない。日本政府は11月19日の閣議で、緒方さんを従三位に叙することを決定した。特に私にとって印象深いのは、アフガニスタン問題である。緒方さんのリーダーシップなくしてアフガンの復興はできなかったと思う。
弁務官を退任されると、アフガニスタン支援政府特別代表に就任された。積極的に現地調査をされ、「緒方イニシアチブ」と呼ばれる支援策を打ち出される。いわば復興支援の見取り図を描かれたのだ。かの国と深くかかわってきた私は、住民の目線での援助、伝統と文化を復活させる政策に驚くしかなかった。
2002年1月、東京で「アフガニスタン復興支援閣僚級国際会議」が小泉純一郎首相(当時)の肝煎りで開催された。緒方さんは共同議長を務められたが、私は外務政務官として仕えさせていただいた。巧みな会議進行で、日本政府の2年で5億ドルをはじめ、各国の支援総額は30億ドルを超えたので、アフガンのカルザイ政府議長(同)が大喜びしたのを覚えている。
アフガンからの参加者の多くを以前から知る私は、国民生活向上の支援策にとどまらず、教育や保健衛生、インフラ整備や地方開発、そして苦しめてきた地雷の撤去などについても彼らに進言し喜ばれた。さらに緒方さんは、定期的に復興運営会議を首都カブールで開催することを提案、採択された。
カブールは、かつては美しいオアシスであった。だが、厳寒の冬の燃料不足でクワやスズカケノキなどの街路樹が、ほとんど切られてしまった。緒方さんは、まず緑の復活から開始、市内中に現地人を雇用して植樹した。遊牧民の羊から苗木を守るために一本一本柵を巡らす必要があった。市内の交通手段であるバスが、全て焼失したため、日本はインド製のバスを輸入して提供した。これらも「緒方イニシアチブ」であった。
かかる業績によって、お茶の水女子大は、緒方さんに名誉博士号を授与する運びとなった。学長と事務局長が私の所に来られ、「アフガンでの緒方さんの業績評価について語っていただきたい」との依頼。僭越(せんえつ)であるので躊躇(ちゅうちょ)したが、引き受けさせていただいた。当日、聖心女子大の後輩にあたられる美智子皇后(当時)さまがご臨席され、緊張するしかなかった。
緒方さんが逝去された当日は、「即位礼正殿の儀」が行われ、アフガンのガニ大統領も参列された。翌23日、大統領は日体大を訪問され、講堂で記念講演をした。大統領は、日本政府・国民に対して、長年にわたる援助の感謝の言葉を幾度も述べられ、「緒方イニシアチブ」についても触れられた。
しかしながら、タリバンの出現でアフガンの内戦は終わらず、国民は安穏とした生活ができずにいる。平和への道のりは遠い。「アフガン問題を風化させないでください」と緒方さんが私に言われた言葉が耳から離れない。
【プロフィル】松浪健四郎
まつなみ・けんしろう 日体大理事長。日体大を経て東ミシガン大留学。日大院博士課程単位取得。学生時代はレスリング選手として全日本学生、全米選手権などのタイトルを獲得。アフガニスタン国立カブール大講師。専大教授から衆院議員3期。外務政務官、文部科学副大臣を歴任。2011年から現職。韓国龍仁大名誉博士。博士。大阪府出身。