【遊技産業の視点 Weekly View】「日本独自の大衆娯楽像」提示を


【拡大】

 □ワールド・ワイズ・ジャパン代表LOGOSプロジェクト主幹 濱口理佳

 業界関連組合・団体の理事長や代表あいさつ、また行政講話などで多用される「大衆娯楽」という言葉。よく耳にするのが「手軽で身近な大衆娯楽として~」という下りだ。伝えたいイメージは分からないでもない。たとえば、百貨店よりもスーパー、割烹(かっぽう)よりファミリーレストランといった具合に「価格が安い方が、人々の日常生活に利用される」ということだろう。しかし、パチンコ・パチスロという娯楽が、物販や飲食のようなサービス業と同様の価値観だけで、そのニーズを語られることに私は違和感を覚える。さらにいえば、独自の発展を遂げた射幸性を伴うビジネスであり、基本的に体験を売る“エンターテインメント”である実態が、単純に金額的側面の特徴だけで語られることを「よし」としない。

 とはいえ「ぱちんこ=大衆娯楽」という位置付けの歴史は長く、業界関係者は何気なく用いるきらいがある。だが私の認識では、この業界に関わるまで普段の会話で「大衆娯楽」という表現が出てきた記憶がない。その意味をWEB辞典などで調べても「多数の支持者を獲得することを目的とするような娯楽」などと的を射ない。さらに「大衆」を冠する他の言葉を調べても「どう在るべきもの」との言及はなく、歴史的背景がメーンに語られるなか、「大衆娯楽」についても同様に、歴史をベースにした説明に終始するものになると考えられる。

 だとすれば、大衆娯楽とは何か、どのような形であれば大衆娯楽なのかという問いに対して簡単に答えが出せないのもうなずける。逆に言うと、曖昧模糊(もこ)とした「大衆」という定義を背景に、“どのような形にでも娯楽像を描くことができる”ということでもある。

 レジャーが多様化するなか「大人みんなが参加する娯楽像」は幻想に過ぎない。「どのような層に、どのように参加してもらいたいのか」、また「射幸性を伴う娯楽産業としてどんな遊びを提供したいのか」を明確化し、これからの世の中に適した形での“日本独自の大衆娯楽像”を突き詰める必要がある。

                   ◇

【プロフィル】濱口理佳

 はまぐち・りか 関西大学大学院文学研究科哲学専修博士課程前期課程修了。学生時代に朝日新聞でコラムニストデビュー。「インテリジェンスの提供」をコアにワールド・ワイズ・ジャパンを設立。2011年、有志と“LOGOSプロジェクト”を立ち上げた。