【職人のこころ】過酷な環境が育てた輪島の漆器

 □民俗情報工学研究家・井戸理恵子

 漆職人、故角偉三郎さんにお会いしたのは今から20年ほど前。北陸で始めた仕事がきっかけだった。ただ、角さんにお会いする以前から角さんの椀(わん)には出合っていた。

 強烈な印象の椀。今まで使ってきた繊細な漆とは違う。能登の力強い空気そのものをまとっている。合鹿椀と名付けられたその椀は手になじむ。どんな熱いものを入れても決して響かない。椀の中に入れられた汁物を丁寧に愛着もって食することができる。木地の厚さ故に冷めにくいのだ。

 椀の中で食べ物が笑っている。ゆらゆらと温かい汁の中で心地よくほほ笑んでいる。安心しきっている。喜んでいる。そんな気さえする。

 角さんの椀に再び出合う。総持寺の門前のそば屋だ。そばの粗野な感覚。手がかじかむほど冷たい水で打たれ、湯気にさらされる。荒削りで太い北陸のそばの味はまさに冬の味。野性味のあるそばが能登の海の風景と絡み合う。角さんの合鹿椀は能登を象徴しているように思われた。

 春間近、東京から車で北陸へ走る。冬の海は波が荒い。幾度も波に襲われそうになりながら、塩をかぶりながら、能登へ向かう。角さんに会う。漆で塗り固められたような家。漆器専門の小道具屋を訪ねた印象だ。そこここに置かれた古今の、世界各地から集められた漆器類。漆への愛情が感じられる。

 初めて会った角さんは昔からの知り合いのようだった。手元にある角さんの椀そのものの人柄なのだ。角さんを角さん足らしめた角さんの合鹿椀。旧柳田村の寺で古く使われていた椀。手にとると風土に息づいた漆の力強さを感じた。古びた椀に輪島の庶民の厳しい生活が形容されているようだった、と。能登の、輪島の漆器は輪島塗と呼ばれる。繊細な沈金、蒔絵(まきえ)などが施され芸術にまで高められた漆器がこの湿度の高い、過酷な環境の中で育まれてきた。遠く京都、あるいは金沢から都びとが好んだ日本の美しい花鳥風月が刻まれている。手中にこの国の美しさが凝縮されているかのようだ。

 輪島は大陸の人が「倭の島」だと認識したところから、輪島と言われるようになったそうだ。「倭の島」はまさに日本の「ジャパン(漆器)」技術を生み出した。輪島塗とわたしたちが認識している漆器と角さんの漆器はどこか異質だ。角さんの漆器には輪島の土の匂いがする。

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【プロフィル】井戸理恵子

 いど・りえこ 民俗情報工学研究家。1964年北海道生まれ。國學院大卒。多摩美術大非常勤講師。ニッポン放送『魔法のラジオ』企画・監修ほか、永平寺機関紙『傘松』連載中。15年以上にわたり、職人と古い技術を訪ねて歩く「職人出逢い旅」を実施中。