■ユーザーの愛に支えられ
富士通傘下のPFU(横浜本社・横浜市中区)が開発製造、販売を手掛けるキーボード「Happy Hacking Keyboard」(HHKB)が、12月20日で初号機登場から20周年を迎える。それに先立ち開かれた祝賀パーティーで、淘汰(とうた)が著しいPC市場で、なぜHHKBが生まれ、そしてなぜ20年間ほぼ同じフォルムを貫けたのかについて、製品開発の初期の段階から携わる開発者らが熱く語った。前回はHHKBコンセプト考案者、東京大学名誉教授の和田英一氏の話をお届けした。今回は、パーティーの後半で語られた、開発に携わった社員らの“裏話”を紹介する。
◆異例のプロジェクト
実はHHKBのプロジェクトが始まった当時、事業推進部門にいた松本秀樹氏(現・イメージング部門の国内営業統括部長)は「なんでこんなプロジェクトがあるんだ、ウチはPC屋だぞ」と思っていたという。だが、当時、松本氏の上司が「社内で面白いチャレンジがあるのはいいことじゃないか、品質管理とかサポートとか、そういったことを取っ払ってやってみようじゃないか」と推し、プロジェクトの実現に踏み切ったという。それだけHHKBは異例のプロジェクトだったのだ。
HHKBの最初の試作機はX端末のキーボードで、それを糸のこぎりで切り貼りして完成させたという。初代の開発にかかった費用は2000万円。それを少しでも回収しようと、1台3万円という価格設定にした(500台で1500万円の売り上げ)。