「日本に乗用車メーカーはトヨタと日産だけでいい」
昭和36年5月、通産省は自動車業界の再編案を突如として打ち出した。国際競争力をつけるため、当時20社近くあったメーカーの乱立を防ぎ、新規参入を制限するのが目的だ。
これに真正面から反対したのがホンダの創業者、本田宗一郎氏だ。「俺にはクルマをつくる権利がある。自由競争こそが産業を育てるんだ!」
当時、ホンダは四輪車を製造していなかったが、二輪車では「世界のホンダ」として頂点を極めていた。乗用車部門への進出は宗一郎氏の長年の夢だっただけに、再編案への怒りは激しかった。
「この法律ができる前に自動車を造ってしまおう」
宗一郎氏は急遽(きゅうきょ)、スポーツカーや軽トラックの製作を指示。次々と難題を与えるが、開発スタッフは若さと体力で切り抜け、短期間で完成させる。
37年10月開催のモーターショーにホンダ初の普通乗用車となる小型スポーツカーが登場した。排気量500ccから「S500」と名付けた。同時に発表した軽スポーツ「S360」とともに注目を集め、黒山の人だかりができた。
S500はコンパクトな2人乗りオープン。英国スポーツカーを参考にデザインされ、日本車にはないバタ臭い外観が新鮮だった。搭載されるエンジンは二輪レースで実績のあるDOHC。44馬力ながら1万回転まで回る超高回転型で「時計のように精密」と絶賛された。後輪をシャフトではなくチェーン駆動にしたのは二輪メーカーらしいユニークな発想だ。