≪バブル期を迎えた80年代後半。生保業界の業績は絶好調だった≫
「各社が保有していた運用資金は巨大で、“ザ・セイホ”と呼ばれていた時代だ。87年には営業管理部長に就任したが、営業職員の数も急増。85年は月平均で4万6000人だったが、90年は6万5000人へと駆け上っていった。まことに心地がよく、今までの人生の中で数少ない追い風の時期であった」(伊藤俊祐)
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【プロフィル】森田富治郎
もりた・とみじろう 東大法卒。1964年第一生命保険入社。91年取締役。常務、副社長を経て97年社長。2004年会長。11年6月から現職。73歳。千葉県出身