ここで西鉄ライオンズは23年間の歴史に幕を閉じた。西鉄社内ではライオンズに関する話題はタブーとなった。若手社員が「西鉄ライオンズを復活させてほしい」と言うと、先輩から即座に「そんなこと大きな声で言うんじゃない!」とにらまれた。
51年10月にはスポンサーが太平洋クラブからクラウンガスライターに代わり、54年には西武鉄道に買い取られ、埼玉県所沢市に本拠地を移した。
新しく球団オーナーに就いた堤義明(79)=元コクド会長=は「西鉄とわれわれは別の球団」と縁切りを宣言した。刊行物や球団史から西鉄時代の記述は消され、稲尾、中西、豊田ら黄金期の選手が西武ライオンズの監督やコーチに起用されることはなかった。
× × ×
プロ野球史から消された西鉄ライオンズは26年後、突如復活した。
平成17年3月、西武鉄道株をめぐる証券取引法違反事件で堤が逮捕・起訴され、失脚した。19年5月、みずほ銀行出身の西武ホールディングス社長、後藤高志(64)がオーナーに就任すると「西武ライオンズの歴史は西鉄から始まった」と明言し、球団OBとの関係修復を図った。
20年には「ライオンズ・クラシック」と題したイベントを行い、西武ライオンズの選手は公式戦10試合で西鉄ライオンズ黄金期のユニフォームを着用した。イベント最終日(8月21日)の西武ドームでのセレモニーには、かつての野武士たちが勢ぞろいした。