GMという後ろ盾を失い「日本で一番小さい。世界的にみても高コスト体質のメーカーが、どうやって生き残るか」(吉永社長)を突きつけられた中、過去の成功体験と決別して下した“賭け”が流れを変えた。
「スバルを米国サイズに合わせる」(森郁夫相談役)。
同社が出した答えは、看板車種「レガシィ」の成功を支えてきた日本市場へのこだわりを封印し、商品戦略の基準を主戦場の米国にシフトすること。それを具体化した第1弾が、米国基準で車体を大型化し09年に投入した「5代目レガシィ」だ。
5代目がデビューした当時、国内営業本部長だった吉永社長は「こんなサイズが売れるか」「名車レガシィになんてことをしてくれたんだ」と、販売店から怒りの声も浴びせられた。
だが米国では違った。「内装や走りは申し分のない車だが、サイズが少し小さい」(小林英俊常務)というハンディがなくなり、急激に販売を伸ばし狙いが当たる。国内でも徐々に受け入れられた米国サイズは、以前のレガシィ並みの中型車に格上げされた新型インプレッサのヒットで完全に軌道に乗り、今年の米国販売は未踏の年間30万台超えが視野に入った。
ただ米国販売の好調は、新たな経営課題を浮かび上がらせている。販売の拡大に追いつけない生産体制の弱さだ。