趣味のスポーツと仕事を両立するビジネスマンの日常生活にフォーカスする連載「ビジネスマンはアスリート」。第4回は自転車のアマチュアロードレース界で「最強の自転車ホビーレーサー」と呼ばれている六本木エクスプレス(東京都目黒区)代表の高岡亮寛さん(44)。昨年、約19年間勤めた米投資銀行のゴールドマン・サックスの日本法人を退職し、都内にスポーツバイク専門の自転車店を開業した。エリート金融マンからの転身に驚く周囲をよそに、「一度しかない人生、やりたいことに挑戦したい。失敗しても、それもまた勉強」と持ち前のフロンティア精神で新たなステージに臨む。
周囲を驚かせた転身
自転車競技を一般的な陸上競技に例えると、「ロードレース」は持久力とスピードで長距離を競う、いわゆるマラソンのような競技だ。そのアマチュアロードレースの最高峰といわれる「ツール・ド・おきなわ」の市民210キロの部で、高岡さんは2007年の初優勝以来6度もの優勝を果たしている。
これらはすべて会社員時代の戦績。体力勝負といわれる外資系金融マンの仕事の傍らに獲得したものだ。自己管理のストイックさは周囲のサイクリストからも一目置かれる。どんなに仕事が忙しくても、レース本番に向けてコンディションを仕上げていく「ピーキング」は、本人も「ほぼ外したことはない」と言い切る。「国内最強のホビーレーサー」たる所以(ゆえん)はそこにある。
そんな「アマチュアレーサーの星」ともいえる高岡さんが会社を辞め、東京都目黒区に自身の自転車ショップをオープンしたのは2020年4月。その突然の転身はロードレース界隈で話題となった。店の名は、自らリーダーを務める強豪チーム「Roppongi Express」の名を冠した「RX BIKE」。その自然な展開に、傍目(はため)からは高岡さんがかねてからの夢を実現したかのようにも見えた。
しかし、高岡さんの口からは意外な言葉が発せられた。
「自転車ショップの経営を目指して会社を辞めたわけではないんです。とりあえず退職後半年くらいは何もせず、次に何をしようか考えていました」
ゴールドマン・サックスに入社した2001年当時、外資系金融が就職先として人気が出始めた頃だった。初任給は一般的な日本企業と比べて破格で、その後の待遇も業績次第。そんな実力主義の世界は自分に向いていると思った。担当業務は金利デリバティブ商品の開発。仕事も面白く、能力の高い同僚と切磋琢磨(せっさたくま)できる職場環境は刺激に溢(あふ)れ、頑張れば頑張るほど収入は上がった。勤務環境は恵まれていると感じていた。
しかし、外資系金融機関は「Up or Out」(昇進か辞めるか)の厳しい世界。高岡さんによると、ある程度資金を蓄えながら次の人生のビジョンを描く人は珍しくはなく、同じ企業に長く勤め続ける人はそう多くない。入社当時は16人いた同期も、退職する頃には自身を含め3人になっていた。
「会社を辞めたのは遅いくらいです。待遇が良かったので惰性で居続けたようなもので、最後の5年間は仕事を本心で楽しんでいたかというと…給与以外に身を置く理由を見出せなくなっていました。そのために残るのも一つの方法だとずいぶん葛藤しましたが、一度の人生、それは違うと思いました」
退職を知り、声をかけてきた企業もあった。しかし、「これからの人生をかけてやりたいこと」を考えた結果、「一生関わり続ける」と思い定めた自転車を人生の軸に置くことにした。
追求・行動・分析の“高岡式”メソッド
「やりたいこと」を追求する性格と行動力は、これまでの自転車との向き合い方にも見て取れる。
初めてロードバイクに乗ったのは中学2年の時だった。貯金をはたいて買った入門用のロードバイクを駆って地元の神奈川県秦野市の峠に1人で挑み、より遠く、広がっていく世界に魅了された。自転車への適性を自ら感じ、高校時代にロードレースを本格的に志すも、進学した高校では自転車部がなく、先生に頼み込んで部員1人の自転車部を立ち上げた。高校総体に出場するためには、部活動として全国高等学校体育連盟(高体連)への登録が必要だったからだ。
授業が終わると急いで帰宅し、1人で練習。週末は中学時代に出会った友人や自転車仲間と一緒に走り、走力を鍛えた。練習仲間には後に全日本選手権やアジア選手権で優勝し、アテネ五輪の日本代表にも選ばれるような実力者もいた。そんな環境で着実に実力を伸ばし、高岡さんも高校3年の時には国際サイクルロードレース大会の「ジュニアの部」で優勝するほどにまで成長を遂げた。
受験勉強の時間を自転車の練習に充てるため、進学は慶應義塾大学商学部の推薦入学を選択。大学進学後はプロチームに入団した。1998年のロードレース世界選手権「U23」(23歳以下)の日本代表になるために大学を1年休学して臨んだ。復学後の大学3~4年時には学生日本一のタイトルを狙うために大学の自転車競技部に入り、全日本大学対抗選手権ロードレース大会で優勝。しかし、プロを目指す気持ちはなかった。
「日本でいくら強くても、世界でプロとしてやっていける人は一握り」
あくまで自転車は趣味。周囲の期待をよそに就職の道を選び、仕事に専念するためにロードレースの世界をしばらく離れた。
仕事にも余裕が出始めた28歳の頃、「健康のため」と6年ぶりにまたがったフルカーボン製のロードバイクに衝撃を受けた。「隔世の感があった」というほど素材の進化を感じた。
復活の場に選んだレースが「ツール・ド・おきなわ」だった。眠っていた競争心が目覚め、以来トレーニングに邁進するサラリーマンアスリートの日々が始まった。
練習時間を潤沢に確保できるプロとは違い、会社員の場合、仕事を含む生活の中でトレーニングの時間を捻出しなくてはならない。特に高岡さんの当時の生活は午前7時ごろから始業し、未明の午前0時ごろに仕事が終わるという多忙な日々だった。
そんな限られた時間の中で、目標のレースに向けてコンディションを最高の状態に仕上げる“高岡式自己管理”のポイントは、1週間内の時間の使い方と月単位での調整だという。「ミクロとマクロの視点で物事の流れを考えることが自分の強み」と自己分析する。その考え方はロードレースの戦略だけでなく、仕事やライフスタイルにも通ずる。
「こぎだそう、そして何かが変わる」
会社勤めを辞めて1年半。ショップのオーナーになっても高岡さんの行動は周囲の関心を集めている。
昨年8月には鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬までの約2600キロを自転車で縦断するギネス世界記録に挑戦。6日間と13時間28分という最速記録を打ち立てた(これまでの記録は7日間と19時間37分)。
新型コロナウイルス禍の影響で大会やイベントの中止が相次ぐ中、自身のチャレンジとして課したものだが、一方で「自分も加齢を感じる年齢になり、どう自転車に楽しく乗り続けるかが最近のテーマになっている」と語る。そんな中、「長距離なら歳を重ねても楽しめるということを伝えたい」と思った。ショップのオーナーとして楽しみ方を発信する側となり、自身を介した自転車の“見られ方”にも意識が向いてきた。
自転車愛好家にとって憧れの「自転車漬けの生活」を手にした高岡さんだが、ビジネスの世界はそう甘くはない。自転車は日本ではいまだメジャースポーツとはいえず、RX BIKEのようなプロショップは商売が難しいといわれる。しかし、高岡さんは「みんなが『できない』と言うなら、自分にはできるかもしれない。そこに勝機はある」と静かに闘志を燃やす。
「今は文字通り自転車操業ですけどね」
そうはにかみつつ、一つの事業を全て自分の手で回すという会社員時代には得られなかった経験に、「失敗も含めて今後の糧にしたい」と目を細める。
「PEDALING MAKES THING BETTER~こぎだそう、そして何かが変わる」
通りに面したショップの窓ガラスに書かれたメッセージはまさに、次の人生を自転車とともにこぎ出した高岡さん自身の今の思いなのかもしれない。
【ビジネスマンはアスリート】は仕事と趣味のスポーツでハイパフォーマンスを発揮している“デキるビジネスパーソン”の素顔にフォーカス。仕事と両立しながらのトレーニング時間の作り方や生活スタイルのこだわりなど、人物像に迫ります。アーカイブはこちら