趣味のスポーツと仕事を両立するビジネスマンの日常生活にフォーカスする連載「ビジネスマンはアスリート」。第3回は農林中金総合研究所に勤務するサイクリストの杉渕ひとみさん。IT系の最難関資格である「ITストラテジスト」としてシステム業務にあたる傍ら、プライベートでは東京~大阪の往復距離に相当する1000キロもの自転車イベントを完走する超人でもある。公私にわたる“強者”の肩書きとギャップのある柔和な印象の杉渕さんだが、難関突破の秘訣(ひけつ)を尋ねると、芯の強さを感じさせる口調で「長距離走破も試験も、乗り越え方には共通点があるんです」と語り始めた。
走れなかったから強くなった
杉渕さんが参加する自転車イベントとは、フランスを発祥とする「Brevet」(ブルべ)という超長距離ロングライド。フランス語で「認定」を意味し、定められた距離を制限時間内に完走することを目標とする。主に200キロ、長ければ1000キロ超のコースからなり、それぞれのコースを完走すれば「認定証」が本国から贈られる。杉渕さんはそれの国内開催を運営するスタッフの1人として普及に努める一方、自らも多くのコースに出走し、完走を果たしている。
しかし、さかのぼること8年前、ロードバイクに乗り始めたばかりの頃は自他ともに認めるほど走力がなかった。そんな彼女がなぜ、この超長距離イベントにのめり込むことになったのか――。
杉渕さん:
むしろ、人より走れなかったからだと思います。いわゆる主催者が安全管理を徹底する通常のイベントと違い、ブルベは有志のイベントなので、基本的に参加者の自己責任のもとで開催されます。自分で安全管理をし、休憩やエネルギー補給を自力で確保しながら指定されたポイントで「通過証明証」を取得しながら走る。といってもコンビニのレシートとかなんですけど(笑)。
つまり、有志のイベントゆえに参加者側にもそれなりの走力と自己管理できるスキルが求められるのがブルベです。「走れなくて仲間に迷惑をかけてばかりいる」と感じていた当時、そういうブルベの考え方に目から鱗が落ちたというか、自分もそうなりたいと憧れを抱きました。
でもそう簡単には走れなくて。ブルベを走る前に1人で200キロを試走したりして、3カ月目にしてようやく完走できました。1人で走るのは想像以上に大変でしたが、そこでようやく自分の走り方が見つかったという感じで、次は300キロ、600キロとさらに距離を伸ばすことが楽しくなっていきました。
距離が長くなればなるほど、体の不調や機材トラブル、エネルギー補給、状況判断など色々な問題が増えていきましたが、その分冒険的な楽しさも高まっていきました。なので大変だからといってあきらめるのではなく、目的を達成するための課題と捉えて一つずつ解決していくようにしました。いつも1回じゃできないんですけど、むしろ、そう思っているからこそ失敗しても簡単にはくじけないのかもしれません。完走できたときの達成感が格別で、それまでの辛さを忘れちゃったりして(笑)。そうやって積み重ねていくうちに、いつの間にか1000キロのコースもクリアできていました。
難関攻略の基本は「細分化」
趣味の世界で高みを極める一方、仕事でもまたITストラテジストという情報技術系で最高峰といわれる資格をもつ。ITストラテジストとは、その名の通りITを活用して経営戦略を立案、実行する「戦略家」のことで、例年14%前後といわれる合格率は、受験者のレベルの高さからいって相当の高難度といわれる。ブルベでは何度も失敗して再挑戦を繰り返した杉渕さんだが、この超難関試験は見事一発合格を果たした。
──杉渕さんにとって試験はブルベより簡単だった?
杉渕さん:
比較するものではありませんが(笑)。でも準備とマネジメントが重要という点では共通している部分はあると思います。
ITストラテジストの試験は、選択式の教養試験が2回、記述式と論文課題式という4部構成で行われます。特に難しいといわれるのが最後の論文で、課題について自身の実務経験に基づいた小論文の作成が求められます。教養試験は知識ですから、ブルベでいうところのいわゆる必要装備や自転車で走るための知識。それをしっかり準備した上で臨む午後の試験は、いうなればブルベ本番です。蓄えてきた体力と経験をもって規定の距離をどう走るかを考えます。
システム開発で「WBS」(Work Breakdown Structure)というプロジェクト管理の手法があります。言葉通り「作業を分解して構造化する」という、プロジェクト全体の作業を大きなタスクとして並べ、それを徐々に小さなタスクに分解して遂行順序を考える手法なのですが、これはブルベにも当てはめることができます。
例えば600キロを走る場合、全行程を一度に走るイメージは持ちにくいけれども、ポイントごとに大きく分けて、区間ごとに走行計画を落とし込んでいく。区間ごとにタスクを設けることで体力的にも精神的にもペースを作ることができます。論文もそれと同じで、まず各章のタイトルだけを作ることから始めると徐々に全体の形が見えてきます。難しく見えるものはいったん処理できるサイズに小さくして、自分の中で再構築することが攻略のコツなのかと思います。
仕事とブルベの共通点
──仕事とブルベは似ていると
杉渕さん:
仕事のやり方だけでなく、組織の中での働き方にも通じる部分があると思います。ブルベは自己責任であると同時に、参加者同士で助け合う場面も多分にあります。それぞれは一見相反するもののように見えますが、「自立する」ということは、何でも1人でやらなければならないということではありません。
例えば、誰の力も借りずに自力で乗り越えなければならない峠もありますが、向かい風が吹きつけるような場所では近くにいる人同士で自転車レースのように「プロトン」(集団)を作り、風の抵抗を減らしながら走った方が良い場合もあります。
抵抗を減らすといっても、そこにいる全員で順番に先頭交代をしながら走り続けるわけですから、走力がなければその協働作業に参加することはできません。お互いを助け合うということは、まず自分が自立していなければできないということをブルベから学びました。
組織での仕事も同じで、チームワークでありながら、そこには個々の責任も必ずある。全てを誰かに依存するのではなく、助け合うべきところは協働する。そういう責任と相互扶助のバランス感は、ブルベにも仕事にも共通している部分だと思います。
──ブルベを始めてみたいと思ったら
杉渕さん:
走りやすいかどうかはさておき、ブルベを走る上で自転車の車種は問いません。最近、街で増えているクロスバイクはもちろん、「ママチャリ」と呼ばれるようなシティバイクでも、トラブルが起きても自力で帰れるなら構いません。そして、ブルベに挑戦する前に、まず50キロを休まずに走れるかどうかを試してみると良いでしょう。例えば自宅から50キロとはどの辺りなのか。そこまでどこにも立ち寄らずに走れるかどうかを一つの目安にして、できたら折り返す。折り返せる自信がない場合は往復50キロから試してみるのも良いかと思います。
私もそうでしたが最初は50キロも長く感じたもので、当時は自転車でこんな冒険の世界が広がるとは思ってもみませんでした。現在はコロナ禍で全国各地の自転車イベントが延期になっていますが、自由に自転車を楽しめるときが来たら、ブルベのことを思い出して、ぜひ挑戦していただけたらと思います。
【ビジネスマンはアスリート】は仕事と趣味のスポーツでハイパフォーマンスを発揮している“デキるビジネスパーソン”の素顔にフォーカス。仕事と両立しながらのトレーニング時間の作り方や生活スタイルのこだわりなど、人物像に迫ります。アーカイブはこちら