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福岡屋台を救え 「伝統の灯を守りたい」天神の屋台大将らネットで資金募集 

 福岡市天神エリアの屋台の大将らが、インターネット上で活動資金を集めるクラウドファンディング(CF)に乗り出した。新型コロナウイルス感染拡大に伴う政府の緊急事態宣言を受け、休業続きで存続が危ぶまれる店もあるためだ。福岡名物の伝統を守ってピンチをチャンスに変える。逆境をはね返そうと意気込む大将らは、地元の熱い支援に期待を寄せている。(佐々木類)

 CFは、アイデアやプロジェクトを持つ起案者がサイトを通じて世の中に呼びかけ、それに共感した人からインターネットを使って少額からでも資金提供を呼びかけられる仕組みだ。

 天神エリアでCFを呼び掛けたのは、天神地区渡辺通り沿いの「大衆鉄板屋台ナカナカナカ」大将、高野将樹さん(36)。「SAVE THE YATAI」と銘打ち、仲間の大将らに協力を求めた。

 出店から1年経っていない新規参入組だが、長年別の屋台で修業してきた経験があり思い入れは強い。

 高野さんは、「屋台は日銭商売なので休業はかなり厳しい。すでに廃業した屋台があると聞いた。30~40年愚直にやってきた屋台の大将もいる。それをコロナのせいで廃業させてはいけないと思った」と語る。

 CFについては、「どういった手法なのか、仲間の大将には知らない人も少なくなかった。賛同を集めるまでに『そこから(説明が必要)ですか』というゼロからのスタートでした」と苦笑しながら話す。

 集めた資金は、宣伝広告費、オリジナル手ぬぐいなど、リターン品製作費、配送料、クラウドファンディング手数料、その他経費を差し引いた支援金をプロジェクト参加屋台に等分して渡す予定だ。「いろいろな方の思いや生活、コロナ終息後まで生き抜いていく資金に使わせていただく」(高野さん)としている。

 国体通り沿いの「まるよし」の大将、阿部英路さん(50)は、地元の常連客のほかアジアからの観光客に人気で、片言ながら中国語、韓国語、英語の3か国語を操る。昔ながらのこってりした味わい深い白濁した豚骨出汁の中にも、すっきりとした後味を残す長浜ラーメンと、ワイルドな見た目以上に、味が評判の焼きラーメンが人気だ。

 阿部さんは「2月下旬ごろから売り上げは大幅に減ったけん、我慢のしどころったい。だけん、いつものにぎわいを取り戻すため、お客さんの支援があるとうれしいスね」と話す。

 渡辺通り沿いの「あほたれーの」は、イタリアを連想させる店名通り、主力のラーメンをはじめ、天ぷらやトマトチーズ料理など和洋盛りだくさんのメニューが売りだ。

 流ちょうな博多弁を操る大将の岩井高久さん(38)は東京生まれの東京育ちという江戸っ子だ。結婚を機に来福し、大きな体を揺すりながら鍋を振るう。

 岩井さんは「この街から屋台が消えるとか、あり得えんし。今さらながらお客さんあっての商売だと実感しとうと」と語る。

 同じ営業自粛といっても他の店舗と違うのは、営業時間が夕方5時から翌朝4時までと決まっていることだ。屋台の設営を始めて支度ができたころには午後6時半。7時までの酒類の提供時間は30分間で、まともな営業にならないのだ。

 決められた時間外は歩道上から屋台を完全撤収しなければならない。時間を前倒ししてランチ営業することやテイクアウトも市条例で禁止されている。

 目標金額は500万円で寄付は1千円から。寄付してくれた協力者へのリターンは、きっぷ1枚でドリンク1杯+屋台おすすめメニューが楽しめる「屋台きっぷ」など11通り。

 CFのアドレスは以下の通り。https://camp-fire.jp/projects/view/257408

 「どっから来たと?」

 鼻の頭を赤くした常連客とおぼしきおっさんが、隣に座った観光客に博多弁で話しかける。

 若いカップルも家族連れもみな、うれしそうに北海道だ、名古屋だと答えるあの光景が、今はない。

 夜の帳(とばり)が下りるころ、九州一の繁華街である天神エリアには、色とりどりの看板に灯がともり、食欲をそそる匂いが立ち込める。開店前から行列ができ、暖簾(のれん)をくぐると大将の「いらっしゃい!」という威勢の良い声が辺りに響き渡る。

 産経新聞九州総局長として赴任した平成26年7月からの4年半、人脈も土地勘もなかった江戸っ子の私は、この屋台で育てられたといっても過言ではない。博多弁もここで知り合った常連客に鍛えられて身につけた、つもりになっている。

 感染症はいずれ収束するだろう。だが、廃業した屋台は戻って来ない。やってみなければ分からないノウハウがある、だから新規の屋台もハードルが高い。

 風物詩として、長く愛されてきた庶民文化は、それを支える人々があってはじめて、未来に継承されていく。吹き荒ぶ感染症の嵐によって、いつ消えるか分からない儚(はかな)い運命にしてはならないのである。

 福岡天神地区の屋台の歴史は終戦直後に始まる。その後、全国で路上営業の取り締まりが広がる中、天神地区ではいち早く組合を発足し、国への陳情活動などでようやく営業権を認められた苦難の歴史がある。

 屋台全盛期、福岡市には約400件の屋台があったが、現在は後継者不足や道路規制などで100件をきり、天神エリアも約40件を数えるほどになった。

 天神エリアの屋台は独自の進化を遂げ、焼きラーメンなど多種多様なメニューを生み出してきた。公募によるフレンチ系といった個性的な「ネオ屋台」が登場するなど、発展し続けている。

 コロナウイルス禍が落ち着いたら福岡を訪れ、少し腰を据えて屋台めぐりをしようかと思う。