【クルマ三昧】高齢者の免許返納より「運転不適合者の免許剥奪」こそ安全な社会への近道

 
4月には東京・池袋で高齢ドライバーの車が暴走して12人が死傷する事故が起きた(写真:産経新聞)

 「高齢者免許返納システム」は間違いだ。「運転不適合者免許剥奪」こそ安全な交通社会の近道である。

 高齢者が歩行者を巻き添えにする事故が、毎日のように報道されている。歩道や商店に突っ込み、なんの落ち度もない市民を犠牲にしている。特に、子供を巻き添えにする事故は痛ましい。すぐにでも「事故0」の社会の実現を祈ってやまない。

 そのための特効薬はあるのか? 答えは残念ながら「NO」だ。

 交通事故には様々な要因が複雑に絡んでおり、どれかひとつ解決したとしても、「事故0」にはならない。ドライバーの運転スキル、交通インフラ、歩行者の危険予知…。すべてを一度に解決する策は今のところないのが現状だ。少しずつ、交通環境を整えていくしか方法はない。

 その中で、現在盛んに議論されているのが、「高齢者の免許返納制度」である。高齢になるに従って認知、判断、操作といった運転に必要な能力が鈍る。身体的能力が低下する老人は危険だから免許を返納するべきだというのだ。

 だがその考えに、素直に首を縦に振る気にはなれない。安全運転が不可能になったドライバーは運転すべきではないとする意見には大賛成だが、それを高齢者という年齢で一括りにするのには抵抗がある。というのは、精神や肉体はひとそれぞれであり、生まれてからこれまで積み重ねてきた月日の数だけで運転が危険だとする考えには賛同しかねるのだ。

 ペダルの踏み間違えや逆走を原因とする事故が頻繁に報道されている。だから高齢者は危ないと短絡的には考えたくなる。ある意味ではそれも事実だろう。視野、反射神経、動体視力などはおそらく年々低下するものだろうから“安全運転度”は低下するのかもしれない。

 だが、若年であっても運転不適格者は少なくない。つい最近でも、けして高齢者とはいえない53歳の男性がパトカーを振り切るために逆走をして検挙されたばかりだ。それは一例に過ぎないが、古くから暴走行為による事故は後を立たない。飲酒による事故もなくならない。高齢者だから危険なのではなく、年齢問わず運転不適合者が危険なのである。

 「高齢者運転免許証返納」ではなく「運転不適合者免許証返納」が正しいのではないだろうか。そもそも運転不適合者への免許証発給が許されることが危険なのである。いまいちど原点に立ち返って、免許証発給システムを議論すべきだと思う。

 では、なぜそうならないのか…。

 おそらく「事故0」などはお題目に過ぎす、「所詮無理ですよね」とする考えが根底にあるのだと思う。もっと過激な言葉で言えば「自動車は便利なものだから、多少は事故の犠牲になる人がいてもしかたがない…」と考える人がひょっとするといるかもしれない。

 そうでなければ、事故を頻繁に起こした運転不適合者すら、数年の謹慎期間をやり過ごせば再び免許証を手にして街中を堂々と走っても許される…なんて理不尽はおこらない。あきらかに精神的に粗暴で凶暴なのに、運転免許証は比較的簡単に手に入る社会は歪である。飲酒運転常習者も同様だ。「この人、また事故を起こすのだろうなぁ…」と思える人が、身の回りにいるはずである。だがそれを許してしまう。その見て見ぬ振りの社会こそが危険なのだ。

 最近、街を歩くのも緊張する。信号を渡るのも、ちょっとした勇気がいる。もちろん青信号を守っても、歩道を歩いていても、どこかから運転不適合者が突っ込んでくるのではないかと不安で仕方がない。

 自分の身は自分の身で守る? そんな社会が正常だとは思えない。

【プロフィール】木下隆之(きのした・たかゆき)

レーシングドライバー/自動車評論家
ブランドアドバイザー/ドライビングディレクター

東京都出身。明治学院大学卒業。出版社編集部勤務を経て独立。国内外のトップカテゴリーで優勝多数。スーパー耐久最多勝記録保持。ニュルブルクリンク24時間(ドイツ)日本人最高位、最多出場記録更新中。雑誌/Webで連載コラム多数。CM等のドライビングディレクター、イベントを企画するなどクリエイティブ業務多数。クルマ好きの青春を綴った「ジェイズな奴ら」(ネコ・バプリッシング)、経済書「豊田章男の人間力」(学研パブリッシング)等を上梓。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本自動車ジャーナリスト協会会員。

【クルマ三昧】はレーシングドライバーで自動車評論家の木下隆之さんが、最新のクルマ情報からモータースポーツまでクルマと社会を幅広く考察し、紹介する連載コラムです。更新は原則隔週金曜日。アーカイブはこちら。木下さんがSankeiBizで好評連載中のコラム【試乗スケッチ】こちらからどうぞ。