【スポーツi.】「頭を使う面白い野球を」イチローの言葉から見る日米野球ビジネスの変遷

 
アスレチックス対マリナーズ戦で途中交代し、ベンチに下がるマリナーズのイチロー選手=21日、東京ドーム

 イチロー選手が21日、引退を表明し、1992年から28年間にわたる野球選手生活を終えた。当日の試合における観客の大声援に「後悔などあろうはずがありません」と語るイチロー選手らしい引退インタビューであった。不世出の野球選手の軌跡を振り返りながら、日米の野球ビジネスを眺めてみたい。(GBL研究所理事・宮田正樹)

 イチロー選手がオリックス・ブルーウェーブにルーキーとして入団した92年は、米メジャー・リーグ・ベースボール(MLB)では、コミッショナーが、選手寄りとしてオーナーの反発を買い、解任させられたフェイ・ヴィンセント氏からバド・セリグ氏に代わった年である。セリグ氏は、追放側オーナーの一人で、当初はコミッショナー代理であったが、98年に正式にコミッショナーとなり、2015年まで辣腕(らつわん)を振るい徹底したファンサービスと経営努力でMLBの大発展を成し遂げた。

 日米の収入格差拡大

 セリグ氏がコミッショナー代理に就任した1992年のMLBの総収入は12億ドル(現在の為替レートで約1321億4000万円)だったと本人が語っている。当時の日本のプロ野球(NPB)の総収入は1300億円ほどだったから、球団数の違い(NPB12:MLB26)を考慮すると差はほとんどなかった。

 それが、今や、日米で格段の差が生じている。2018年のMLBの総収入は103億ドルといわれているから、円換算で1兆円を超えた。1800億円ほどにとどまるNPBとの差はどうして生じたのだろうか。

 MLBは1994年8月から95年4月まで続いた選手による232日間に及ぶ長期ストライキで、ファンの野球離れを招いた。この苦境を救ったともいえるのが、近鉄バファローズを退団して95年2月にロサンゼルス・ドジャースに入団した野茂英雄選手であった。彼の活躍は驚きと称賛をもって米国に受け入れられるとともに、イチロー選手を含む、その後の日本人選手の流出のきっかけとなった。

 イチローがシアトル・マリナーズの選手としてメジャーリーガーとなった2001年にはバリー・ボンズ選手が73本のシーズン最多本塁打記録を樹立した年だったが、後年、多くのパワーヒッターにアナボリックステロイドなどの薬物使用が認められ、MLBのビジネスに影を落とした。

 それにもかかわらずMLBの収入の巨大化と選手年俸の高騰は、リーグが主導するさまざまなビジネス努力はあるものの、基本的な要因はテレビを中心とするメディア収入の増大にある。リーグが一括して契約しその収益を各チームに分配している全国ネット放送権とは別途、RSN(リージョナル・スポーツ・ネットワークと呼ばれる地元ケーブルテレビ局)と地元チームとの独占放送契約による放送権収入が近年高額化し、各チームを潤しているのだ。プライス・ウォーターハウスの調査によると、18年にRSNからの収入が入場料収入を上回った。

 日本球界にエール

 この大きなマネーの流入を維持するためにも、優秀なパワーのある選手を金の力で世界中から集める。それが報酬の高騰を招くというサイクルに陥っているのがMLBの現状だ。この状況を肌身で感じてきたイチロー選手が引退インタビューで次のように語ったことを、日本人として傾聴しなければならない。

 「01年に僕がアメリカに来てから今は19年。全く違う野球になりました。頭を使わなくてもできてしまうような、本来野球は頭を使わないとできない競技なんです。でもそうじゃなくなってきているのが、どうも気持ち悪くて。日本の野球がアメリカの野球に追随する必要は全くない。日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしい」

 彼の言葉は、日本の野球が国内、アジアで発展していくためのポイントを指摘してくれたのではないだろうか。

【プロフィル】宮田正樹

 みやた・まさき 阪大法卒。1971年伊藤忠商事入社。2000年日本製鋼所。法務専門部長を経て、12年から現職。二松学舎大学大学院(企業法務)と帝京大学(スポーツ法)で非常勤講師を務めた。