【関空再生(中)】蓄積した技術 連絡橋復旧で発揮

 
新しい橋桁が架設される前の関西国際空港連絡橋=2月12日、関西空港沖(本社ヘリから、沢野貴信撮影)

 2月12日深夜、大阪・泉州沖。クレーンにつるされた長さ約90メートルの橋桁が、ゆっくりと関西国際空港の連絡橋に近付いた。「感慨深い」。作業を見守ったNEXCO西日本関西支社の佐溝純一・橋梁(きょうりょう)担当部長はようやく緊張を解いた。

 「見たこともない壊れ方だ」。昨年9月5日早朝、同じ場所にいた佐溝氏は呆然(ぼうぜん)とした。最大4メートルずれた1千トン超の橋桁。橋桁を支える厚さ11ミリの鋼板にはぽっかりと穴が開いていた。前日4日昼過ぎ、台風21号の強風でタンカーがぶつかる惨事。現場修理は不可能と判断し、橋梁メーカーに協力を打診してはいた。だが「修理はいつまでかかるか」。不安に包まれた。

 道路が頼みの綱に

 衝突直後、連絡橋は絶望的な状況にみえた。約8千人が取り残された関空島。タンカーが衝突した下り車線側の橋桁の影響で鉄道部分も損傷し、道路が頼みの綱となった。

 「上り車線が使えたら何とかなる」。通行再開の作業を統括したNEXCO西関西支社保全サービス事業部の中村順部長は希望をつないでいた。「使用可能な部分を最大限活用し、通行を実現する」。NEXCO西、そして道路事業者の鉄則だ。

 蓄積があった。平成27年度から進める高速道の大規模修繕プロジェクトでは、時には中央分離帯を取り払って上下線をつなぐなど、通行止め回避を主眼とした工事方法を徹底してきた。

 一つの成果が、連絡橋の破損から約2カ月前の西日本豪雨。片側車線の橋梁が流出した高知自動車道の立川橋(高知県大豊町)で、残った橋梁の車線を使い6日で対面通行を始めた。「社内で手法が浸透し、立川橋で復旧作業でも有用と確認できた」(同社)

 連絡橋では、船上などからの状況確認や道路上で重量車両を通過させる試験で安全を確認。衝突約12時間後の5日午前1時には、上り線を使った対面通行の検討に入った。

 集まった20社150人

 「もう24時間を切っている」。6日午前、関西支社の災害対策本部は騒然となった。安倍晋三首相が国内線の運航を7日に再開する方針を示したからだ。

 旅客をさばくには、連絡橋の対面通行が不可欠。準備は進めていたものの、残された時間はあまりに少ない。「運航再開に間に合わなければ意味がない」。中村氏は覚悟を決めた。

 手順は考えていた。関空島に入る下り線の破損箇所手前で中央分離帯を取り払い、上り線と連結させる。速度を落とさず車両がスムーズに連結箇所に入る位置で、徐々に車線変更。新たな中央分離帯になる防護柵は1キロ分にも及び、NEXCO中日本からも借りた。

 集まったのは協力会社約20社の150人。鬼気迫る現場となった。中村氏は「計画を詰める暇もなかったが、一つの目標に向け動いていた」と話す。

 7日午前5時10分、対面通行を開始。再開第1便に間に合った。

 完成わずか5カ月

 2月14日未明、連絡橋では、修復を終えた2本の橋桁の設置が完了した。

 設計も含めれば1年半かかる橋桁の製造だが、1本あたり7ブロックに分けて効率的に製造。使えるブロックは再利用した。昼夜の突貫工事で、わずか5カ月で完成にこぎ着けた。

 鉄道では、当初1カ月程度とした復旧見込みを大幅に繰り上げ、被害から2週間後に全面再開させた。JR西日本近畿統括本部の田淵剛・施設課長は「社内やメーカーの専門家をすぐに招集し、早い段階で鉄道橋桁が使えると判断できたことが大きい」と明かす。

 「日本の高い技術力と情熱がここに集結し、想像を超える速さで復旧が進む」。関西観光本部のドキュメント動画「関空、驚異の復旧の全貌」はうたいあげる。

 京大大学院の杉山友康特定教授(鉄道防災学)は「技術者たちがよりベターな方法を導き出した成果」と評価。そのうえで「技術継承の重要さを示したことも教訓の一つ」と話す。

 連絡橋は、4月上旬に全6車線が完全復旧。元の姿を取り戻す。