「三菱東京UFJ銀行」の「東京」消して大丈夫? デヴィ夫人が猛反発する理由

 
三菱東京UFJ銀行は来春から「東京」が外れ、「三菱UFJ銀行」になる=東京都中央区

 三菱東京UFJ銀行が来年4月に銀行名から東京を外し、「三菱UFJ銀行」に変更することについて、著名タレントのデヴィ夫人(77)が敢然と異を唱えている。自身の公式ブログで「私は絶対反対です!外すならUFJの方でしょう」などと猛反発。その上で、「東京」を消そうとする三菱東京UFJ銀に対し、「皆さん365日、24時間営業、電話一本で事を済ませることができる『プレスティア』の方が便利だということに気付くのではないでしょうか」と、ライバルである三井住友銀行子会社のSMBC信託銀行のブランド名まで引き合いに出して批判する始末…。デヴィ夫人が「東京」の名前にこだわるワケは-。

 「私たち(外国在住の)日本人にとって、どんなに『誇り』だったでしょう」

 「国際的にもいまだに「『The Bank of Tokyo(東京銀行)』の名前が有名」

 デヴィ夫人は今夏、「東京の名が消える 三菱東京UFJ銀行」と題したブログを公開した。

 デヴィ夫人はインドネシアの故スカルノ元大統領の妻となり、数奇な半生を送ったことで知られる。

 デヴィ夫人がインドネシアに住み始めた1960年代初頭には旧東銀(現三菱東京UFJ銀)の支店が同国の首都ジャカルタにあり、ブログでは「ずっとお世話になっておりました。私と同じようにメランコリック(憂鬱)さを感じている人は数多くいらっしゃると思います」と振り返った。

 デヴィ夫人はほぼ毎日のようにブログを更新。取り上げる分野は芸能や政治、事件など幅広いが、1企業の方針にもの申すのはまれだ。しかも、東銀の歴史について経済ジャーナリストさながらに詳しく解説している。

 昭和29年公布の「外国為替銀行法」に基づき、日本で唯一、外為売買などができる免許を受けた「外国為替銀行」となったと紹介。

 そのため、「世界中に支店があり、パリに行けばオペラ座に近い4-8,Rue St-Anneに、NYに行けば(高級ホテル)ウォルドーフ・アストリアの1階全フロアに支店がありました。私たち日本人にとってどんなに『誇り』だったことでしょう!」と東京を大絶賛している。

 東銀の歴史は古い。太平洋戦争前までさかのぼれば、インドや中国だけでなく、東南アジア主要国をほぼカバーする支店網で、ケニアのナイロビやイラクのバグダッドにまで進出していた。国際的な地名度も高く、いまだに「ザ・バンク・オブ・トーキョー」と呼ばれるケースもあるという。

 デヴィ夫人も「東京銀行は日本の国際経済史といっても過言ではありません。『東京』 の名がなくなることはショックです。消えてほしくないというのが本音です」と気持ちを打ち明けた。

 実は三菱東京UFJ銀の英語表記は「The Bank of Tokyo-Mitsubishi UFJ」(略称BTMU)と東京が先に書かれている。その理由は上記の通り、国内では知名度抜群の「三菱銀行」より「東京銀行」の方が海外で知られていることも要因のようだ。

 関係者によると、インドネシアの一部新聞では、現在も三菱東京UFJ銀が「The Bank of Tokyo」と縮めて表記され、「BOT」と略されることも多いという。

 デヴィ夫人は「東京銀行の元行員の方々の国際的経験、ノウハウを上手に利用すべきではないでしょうか」と訴えた。

 もっとも、合併前の旧行名(三菱、東京、UFJ)の名前を全て残した「三菱東京UFJ銀行」に対し、国内の顧客からは「長すぎる」「書類に銀行名を書くのが煩わしい」という不平不満が寄せられていたのも事実だ。

 三菱東京UFJ銀が行名変更を発表したのは5月中旬。ニュースリリースでは、「『商業銀行』『信託銀行』『証券』を中心とした各機能を担うコンセプトを明確にするため、主要事業会社の名称をグループ名(三菱UFJフィナンシャル・グループ)と同じ三菱UFJに統一する」と説明。英語表記はグループ名の略称「MUFG」を使い、「MUFG Bank」にするとした。

 三毛兼承(みけ・かねつぐ)頭取も産経新聞などのインタビューで、「銀行を除くと、(社名に)『東京』は入っておらず、グループとして平仄(ひょうそく)が合っている」と説明した。

 ただ、行名変更のプロジェクトは約2年前に立ち上がり、当初は「きらら銀行」「あかね銀行」など旧行名を全て廃した名称案も浮上。議論の末、「MUFG銀行」にする案でほぼ固まったが、土壇場でひっくり返ったという。旧三菱銀行OBが「三菱」を外すことに強く抵抗したとされる。

 旧三菱銀と旧東銀が合併し旧東京三菱銀行が誕生して約20年、旧東京三菱銀と旧UFJ銀行の合併で三菱東京UFJ銀が誕生してから約10年。この間、銀行内では旧三菱出身者の力が圧倒的に強くなった。来春に行名から「東京」が外されることで、旧UFJ出身者からは「明日はわが身」とのぼやきも聞こえる。

 MUFG傘下の海外銀行を含むグループ全体の貸出残高109兆円(29年3月末)のうち約4割は海外だ。海外で知名度のある「Tokyo」を消す行名変更は吉と出るか凶と出るか-。その答えは間もなく出そうだ。(経済本部 飯田耕司)

 東京銀行 明治13(1880)年国立銀行条例に基づいて設立された横浜正金銀行が前身で、昭和21年に同行の国内資産・負債を継承した普通銀行として設立された。29年の外国為替銀行法の制定により、同法に基づく外為専門銀行に転換。貿易・為替金融業務が中心となり、海外店舗の設置などについては優遇措置が取られた半面、国内店舗は制限され、貿易・為替に全く関連のない貸し出しはできなかった。平成4年に金融制度改革関連法が成立し、普通銀行への転換が可能となったことを受け、8年に三菱銀行と合併し、東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)となる。