吹雪の中の救援…再始動
被災地へ 石油列車■3時間遅れで郡山に 達成感と悔しさ
鉄道による歴史的な石油輸送を目撃すべく、猪苗代湖畔で列車到着を待っていた日本石油輸送(JOT)石油部の渡辺圭介さんも、異常を察知。過去に何度も冬場の停車事案が発生している地点は調査済みだ。同行の友人とともに、翁島手前のポイントに車を走らせた。現場は激しく吹雪が舞う。驚いたことに、そこには既に5、6人の鉄道ファンが先着していた。視線の先にはDD51を先頭にした石油列車が立ち往生していた。
「脱出をトライしていたけど、無理っぽい」。渡辺さんに気付いた先着者が心配そうに話しかけてきた。「雪の磐越西線、やはり甘くないな」。用意してきたカメラを向けるのも忘れ、呆然(ぼうぜん)と石油列車を見つめるしかなかった。
「救援はいつ来るか」
会津若松駅で待機していたディーゼル機関車DE10が、排気音を響かせながら力強く動き始めた。狭い車内に運転士2人のほか、線路整備、機関車接続技師など5人が搭乗し、郡山方面にひた走る。2時間もあれば停止場所に到着するはずだ。「頼んだぞ」。JR東日本会津若松駅長(当時)の渡辺光浩さんは、DE10に手を合わせたい心境だった。
◆予想より早く
停止場所近くの橋から見守るJOTの渡辺さん。会津若松方面のレールを眺め「応援が来るとしたらこちら側からだろう」。独り言をつぶやく。「あ、なんかきたぞ」。現場にいた誰かが叫んだ。「こんなに早く、嘘だろ」。渡辺さんは眼鏡についた雪を払いながら、遠くを見た。停車してからまだ2時間ほどしかたっていない。DE10は石油列車の最後尾に近付き停車。警笛が2回鳴った。乗車していた職員らが線路に降り、状況を確認、再び警笛が2回鳴り、DE10がさらに接近し、石油列車の後尾に接続された。DD51の運転席と通信しながら、DE10が動き出しのタイミングを合わせていく。立ち往生していたDD51運転士の遠藤文重さんが無線で叫ぶ。「お願いします」
DE10が押す力がタンク貨車から機関車側へ伝わっていく。遠藤さんは再びノッチを入れ、ゆっくりブレーキを解除していく。一瞬甲高い金属音が響いたあと静かに、しかし力強く石油列車が動き始めた。「よし、動いたぞ」。遠藤さんが声を上げた。
「おお、すごい」。現場にいたJOTの渡辺さんらも思わず叫んだ。予想より早く到着した救援機関車。近くで待機していたんだと思うと、胸が熱くなった。再始動した石油列車は何ごともなかったようにカーブの向こうへ消えていった。
午前10時前、石油列車が郡山貨物ターミナル駅に入線した。遠藤さんは時計に目をやった。約3時間の遅れだった。やり遂げたという思いとともに、停車の悔しさも込み上げてきた。駅にはテレビや新聞など報道陣が集結している。カメラのレンズが運転席を狙い、盛んにフラッシュがたかれた。
◆「次こそは」誓う
JR貨物郡山総合鉄道部の幹部が運転席に声をかける。「ご苦労さんだったね。無事に運べて良かった、良かった。ところでマスコミが運転士のインタビューしたいっていうんだけど、どうする」。遠藤さんは「ごめん、なんか遅れちゃったし、そんな気分じゃないんだよね。すんません」。運転席にこもったまま、遠藤さんは目を閉じた。停車までの手順に誤りはなかったか、ノッチやブレーキの操作、速度を思い返した。石油輸送は明日以降も続く。次こそは時間通りに石油を運ぶ。そう誓った。
3月27日早朝、会津若松駅長の渡辺さんは、磐越西線の翁島駅付近を歩いた。昨日朝、石油列車の初便が走行不能となった場所はすぐに分かった。苦闘を物語るように、レールには車輪の空転による幾筋もの傷がついていた。渡辺さんは氷のように冷えたレールを指でなぞりながら、郡山方面に視線を向けた。被災地の復旧はまだ始まったばかりだ。「はやく通常ダイヤに戻さないとな」
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