困難極めた原発周辺の輸送ルート 窮余の策、自衛隊が出動

被災地へ 石油列車
東京電力社員が陸自ヘリに同乗して撮影した福島第1原発3号機の燃料貯蔵プール付近=2011年3月16日(同社提供)

 困難極めた原発周辺の輸送ルート

 東京電力福島第1原子力発電所の爆発事故後、原発近隣の集落に出された避難勧告・指示は日ごとに対象エリアが広がっていった。3月15日には、福島第1原発の半径20~30キロ圏内を対象に屋内退避指示が発令され、住民は食料の買い出しにも行けない状況となった。

 被曝のリスク

 各戸に物資を配達するため、トラック輸送網の構築が急がれた。政府や自治体は、対象エリア近辺に配達トラック向けの給油所を確保し、石油輸送を計画したが、被曝を恐れてタンクローリーの運転に手を挙げるものはいなかった。

 政府は、窮余の策として自衛隊による石油輸送に踏み切った。自衛隊員がタンクローリーを運転して指定のサービスステーション(SS)まで運ぶ。石油関連業界に声がかけられタンクローリーが集められ、33台が3月いっぱい石油を運び続け、屋内退避エリア周辺の物流をつなぎとめた。

 ただ、タンクローリーが一度に運べる石油は1台当たり24キロリットル程度で、SS1、2カ所分にすぎない。一刻も早く、より太い石油供給ルートの確立が求められた。

 「タンカーなら最大5000トン運べる」。政府と石油元売り、石油連盟などは、内航タンカーによる輸送を検討し始めた。東北太平洋岸の主要港湾は、大量のがれきが押し寄せて使用不能の状態だったが、現地から「塩釜港が比較的被害が小さい。早期に復旧できそうだ」との情報が飛び込んできた。

 塩釜港は、被害の大きかった仙台港と東松島市沿岸部の中間に位置する。すぐ南側には爆発炎上したJXエネルギー(現JXTGエネルギー)の仙台製油所があるが、七ケ浜町周辺の半島状に飛び出した地形が天然の防波堤となった形で、奇跡的に被害が軽かった。

 同港には出光興産、東燃ゼネラル石油(現JXTGエネルギー)などの油槽所もあった。ここに大型タンカーを横付けできれば、大消費地である仙台市近辺の石油不足が解消へ大きく前進する。

 「被害が軽微とはいえ、港内にはがれきが押し寄せ、海底に何が沈んでいるか分からない状態だった」(石油連盟流通調査グループ長の小野森彦さん)。

 国交省がやり玉に

 国土交通省を中心に港湾内の掃海と浚渫(しゅんせつ)を行うことになったが、完了まで1週間から10日程度は必要とみられ、作業は難航した。「さっさと掃海しないと被災地のガソリン不足は国交省のせいになるからな」。政府内の会議では、たびたび国交省がやり玉に挙がったという。

 塩釜港への大量輸送にめどが立ちつつあったものの、それだけでは広域に及ぶ被災地の石油不足に対応するには不十分だった。

 実は震災当初から、緊急用に石油を提供していた施設があった。岩手県の盛岡市、福島県郡山市のJR沿線上にある内陸型油槽所(オイルターミナル)だ。

 震災前は毎日のように石油列車が運行していたが、東北本線が不通となったため、休業状態だったが「病院用の燃料が急遽(きゅうきょ)、必要となった際、何度か対応してもらった」(石油連盟の小野さん)。鉄路での石油輸送がクローズアップされていく。