オーストラリアのカジノ事情

遊技産業の視点 Weekly View

 □シークエンス取締役、LOGOSインテリジェンスフェロー・木村和史

 そもそもオーストラリアでは、カジノが登場するかなり前から、スロットマシンやビンゴなどが日常に存在しており、それは1900年代の初めごろまで遡(さかのぼ)るという。そして、これらゲーム機は非営利の団体などで、慈善活動資金の捻出の目的のために使われていた。これは以前、同コラムで紹介したオセアニアのキリバス共和国で見られるビンゴゲームと似通ったシステムだ。

 オーストラリアでは、これらが原型となり、ポーキーズやRSLクラブのように商業的賭博として大衆娯楽化したようだ。この段階的なIR型カジノに至るまでの経緯が、少なくともオーストラリア、とりわけIR型を志向したシドニーにおいては、カジノおよびカジノ類似市場で幸いにも顧客のすみ分けが図られる結果となった。つまり、IR型カジノは外国人(観光客を含む)などの一見客、ポーキーズは地元一般大衆層、RSLクラブや自治会などが運営する施設では地元高齢者層などといった具合だ。

 今後の日本版IRを想起したとき、将来的な遊技産業との関係性を推し量る上で、シドニーのモデルは豊かな洞察を含んでいる。無論、オーストラリアのポーキーズ等とカジノは賭博という意味で並列であるため、大衆娯楽である日本のパチンコホールを同一視することは無理があるが、シドニーの賭博の顧客のすみ分けの根本には、居酒屋や昔の職場、信仰といった近接的な共同体をベースにした顧客の囲い込みがある。

 オーストラリアにはポーキーズやRSLクラブ、アメリカやイギリスにはダイナー、パブや教会のように、日々もしくは日曜ごとに集まる「ゲマインシャフト的な磁場」が存在し、街の維持機能として存在している。翻って日本は、水にペットボトル100円の価値がついた約四半世紀前から、相互扶助相互監視を基調とした「田舎」の崩壊が不可逆になり、地方共同体の衰退と消滅が現実化している。ただし時間軸としては、あと一世代は実態(学校、工場、農林水産業など)を伴った地方は存続する。そのような状況での日本版IRは、どのような創造性と想像力と実事求是を基にした展望を持てるのだろうか。

                   ◇

【プロフィル】木村和史

 きむら・かずし 1970年生まれ。同志社大学経済学部卒。大手シンクタンク勤務時代に遊技業界の調査やコンサルティング、書籍編集に携わる。現在は独立し、雑誌「シークエンス」の取締役を務める傍ら、アジア情勢のレポート執筆等手掛ける。