原子力抜きで安全保障は語れない

シリーズ エネルギーを考える

 □弁護士・北村晴男さん

 ■司法は謙抑的であるべき

 --今年春、再稼働が認められて運転中の原子力発電所の運転差し止めを求める2つの訴訟で全く逆の判決が出ました。滋賀県の大津地裁は高浜原発(福井県)の運転差し止めの決定を下し、福岡高裁宮崎支部は川内原発(鹿児島県)の即時抗告審で原告の訴えを退けました。どうして180度違う司法判断が出されることになるのでしょうか

 「裁判官の独立性が保障されている日本の健全な司法制度のもとでは、起こりうることです。ただし、こうした地裁の判断が異なった裁判でも、高裁、最高裁と上級審に進み、時間はかかっても最終的に最高裁で判断が統一されることが想定されているのが、民主国家である日本の司法制度です。これが中国の裁判所であれば、共産党の指導による統一的な判決が出されますが、それは最低レベルの司法制度です。他方、裁判官もそれぞれの価値観を持っています。どうしても法解釈にあたって、それぞれの価値観を反映せざるを得ない面があることは否定できません。法律にはすべての事情を細かく書ききれませんから、抽象化した条文を具体的なものに当てはめようとしたとき、おのおのの考え方や、ものの見方、価値観が入ってきて、結論に違いが出てきます。とくに原発の裁判でリスクをどこまで見るのかというのは、その人の背景にあるものの考え方や価値観に左右されることになりかねないため、判決が政治的な信条や思想に影響される傾向が強くなると思います」

 --原発の稼働に関する司法権限について、最高裁は「裁判所の審理、判断は、当該行政機関の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべき」との判断を示しています。これに対し大津地裁の判決は、原子力安全行政で唯一権限を与えられている原子力規制委員会の決定を簡単に覆すなど、問題が多いとの指摘もあります

 「行政機関の判断を基本的には尊重すべきであることは、どの裁判所も否定できません。ですから、行政の判断が著しく合理性を欠いている場合に、司法が介入するということになります。原子力分野での裁判所の専門性は高くないため、第一義的に行政の判断を尊重すべきということになりますが、そういう司法と行政のチェック・アンド・バランスの本来あるべき姿として、最高裁は判断の枠組みを示しているわけです。その考え方自体は正しいものであるし、誰も否定できません。今回の大津地裁の裁判官もそれを否定しておらず、そのうえで『著しく不合理』と指摘しており、その結論部分は十分議論の余地があります。ただ、司法は謙抑的であるべきで、とくに政治性や専門性の高い分野の判断では、司法は軽々しく違法というべきではないと思います。今回の2つの180度異なる判決も、時間はかかるにしても上級審に進むにつれて収斂(しゅうれん)されていくことになると思いますし、ある意味では、それが『健全で安心できる司法制度』ともいえます」

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 ■多角的視点での議論必要

 --今後も原発の再稼働をめぐる訴訟が続きます。事業者や国はどう対応していくべきでしょうか

 「正攻法でいくしかないと思います。それはどれだけ分かりやすく、説得力のある広報活動をしていけるかということです。批判を恐れず、堂々と説得していくべきですが、とかく電力会社は表立って説得することを避けているような気がします。説得力のある議論を根気強く続けていくことが、裁判官にも影響を与えるし、世論を動かすことにもなります。国も重要なエネルギー政策を行っているわけですから、太平洋戦争や石油ショックなど過去の歴史を振り返って、なぜ原子力を選択したのか、粘り強く説明し、国民の理解を求めていかなければいけないと思います」

 --原子力に限らず、エネルギー政策は国家の安全保障にかかわる重要な問題です。日本のエネルギーの現状をどう見ていますか

 「ABCD包囲網で対日貿易が制限され、米国に全面的に依存していた石油の輸入を止められたことが、日本が太平洋戦争に突き進む直接のきっかけになったことは間違いありません。日本の外交能力が欠如していた面もありましたが、これは揺るぎない歴史的事実です。日本人はエネルギー安全保障がどれだけ大切なことで、これを誤ると戦争にもなりかねないものだということを肝に銘じておくべきであり、国家の運営はエネルギー安全保障を抜きにしては考えられないのです。エネルギー安全保障という意味では、第1次石油ショック直前、私が中学に上がるころのわが家でこんなことがありました。それまでまきで焚いていた風呂釜を石油炊きに替えようとしたとき、父親が『日本に石油が入ってこなくなったらどうする。まきも石油も使える風呂釜にしないとだめだ』と言いだしました。私は『何言ってるの』と思いましたが、結局両方使える釜にしたところ、直後に石油ショックですよ。親父は戦争を経験しているので、『世界情勢はどう変わるか分からない』と肌で感じていたのでしょう」

 「現在、日本のエネルギー自給率は約6%ととても低く、石油や天然ガスなど多くのエネルギーを海外に頼っています。この状況を考えますと、現時点のテクノロジーからすれば、原子力抜きで日本のエネルギー安全保障は語れないと思っています。ところが、原発を再稼働させることは、『電力会社をもうけさせるだけだ』と考えている人がいます。とんでもないと思います。原発が動かないため高くなっている電気料金は、産業の生死を左右するような問題です。安い電気を安定供給できなければ、産業は衰退し、国民生活に大きな影響を及ぼします。多くの人が中小零細企業で生計を立てていますが、電気料金の高騰は真っ先に中小零細企業の経営を直撃します。それによって失業者が増えれば、世界最高レベルにある日本の治安も悪化し、社会も不安定になるでしょう。これは大変重要な問題であり、電力会社をもうけさせるだけなどという一面的な見方は修正していかなくてはいけません」

 --今後の日本のエネルギー政策はどうあるべきとお考えですか

 「国家の運営は常に綱渡りです。石油や天然ガスなどの資源調達、原発の安全性、地球温暖化問題など、あらゆるリスクを比較し、全体でリスクを最小化する道を選択していくわけです。その際、顕在化しているリスクだけを見るのではなく、潜在的に抱えているあらゆるリスクに目を向けていかなければいけません。エネルギー安全保障やコスト、温暖化問題など多角的な見方を十分提示し、公平に議論したうえで、政策を選択していく必要があると思います」

 「もう一つ重要な問題があります。戦後、日本の技術力を恐れた米国によって完全に封じ込められた航空機産業とリンクする部分がありますが、日本の原子力産業のあり方です。技術を封じ込められた航空機産業は欧米が独占し、日本は多大な損失を負うことになったのは歴史的事実です。では原子力はどうかと言いますと、今後の世界の趨勢(すうせい)は、明らかに原発推進となります。そのとき日本の原子力産業が衰退していたら、世界はどうなるか。日本の経済的な利益という問題にとどまらず、日本人の緻密な考え方や技術力を、原発の安全技術に生かし続けていくことが、どう考えても日本が世界に貢献する道なのです。これから世界に大量に普及する原発の安全性を少しでも高めるために、日本人の英知を結集しないでどうするというのでしょうか。日本が原発を止めると発想したら、世界の損失です。原発がもたらす利益を享受してきた日本人は、原発の安全技術で世界をリードしていくという使命を背負っているのです」(聞き手 神卓己)

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 ■高浜原発と川内原発訴訟の判決比較

 ≪高浜原発(2016年3月)≫

 決定内容/運転を認めない仮処分を決定

 新規制基準の評価/新規制基準は緩やかにすぎて合理性を欠き、適合しても安全性は確保されていない。新基準が公共の安寧の基礎となることをためらわざるを得ない

 地震など安全対策/過酷事故対策、緊急対策、耐震基準の策定に問題点がある。関電側が主張や説明を尽くしていない

 ≪川内原発(2016年4月)≫

 決定内容/運転差し止めを求める原告側の申し立てを棄却

 新規制基準の評価/新規制基準は最新の科学的知見を踏まえたもので不合理な点はない。川内原発が新規制基準に適合するとした原子力規制委の判断も不合理とはいえない

 地震など安全対策/基準地震動(想定される最大の揺れ)の策定方針に不合理な点はない

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【プロフィル】北村晴男

 きたむら・はるお 1956年長野県生まれ。79年早稲田大学法学部卒業後、86年司法試験に合格。勤務弁護士を経て、92年北村法律事務所設立。事務所を法人化した後、パートナー制を採用し、北村・加藤・佐野法律事務所に。保険法、交通事故、債権回収など主に一般民事が専門。日本テレビの『行列のできる法律相談所』では、その誠実な人柄で人気に。著書に『明解!北村弁護士のくらしの法律相談』(河出書房新社)、『もめない相続と手続き』(主婦と生活社)など。