最後まで決断できなかった“罪深さ” シャープ経営陣の迷走を振り返る

 
記者会見中、紙コップ入りの水で乾杯する(左から)鴻海精密工業の戴正呉副総裁、郭台銘会長とシャープの高橋興三社長=2日午後、堺市

【経済インサイド】

 台湾の鴻海精密工業によるシャープ買収が正式に決まり、シャープは鴻海傘下で経営再建を目指すことになった。2日の会見で両社の首脳は明るい未来を語ったが、シャープの高橋興三社長ら経営陣は最後まで再建に向けたビジョンを示せず、問題の先送りを続けたことで、鴻海傘下に追い込まれるかたちになったことは否定できない。その決断力の欠如は、強烈なリーダーシップを見せつけた鴻海の郭台銘会長とはあまりに対照的だった。シャープ経営陣の“迷走”を振り返った。

 2日、堺市で開かれた鴻海とシャープの合同記者会見。壇上、郭会長の隣には高橋社長の姿があった。最初は硬い表情だったが、郭会長が冗談を飛ばして会場を沸かせる中、徐々にリラックスしてきたように見えた。

 そんな時、厳しい質問が飛ぶ。

 「鴻海が出資額を1000億円引き下げたことについてどう思うのか」-。

 官民ファンドの産業革新機構が出資案を取り下げ、シャープの“頼みの綱”が鴻海だけになると、郭会長は当初提案していた条件を変えてシャープや主力取引銀行を翻弄したことを指していた。

 高橋社長の反応を固唾を飲んで見守る会場。しかし、その答えは「いろいろな経緯があったが、こうして並んで座っているということは、お互いに提携が良いと信じているということだ」というもの。この日の会見では、郭会長も都合の悪い質問にはほとんど答えていなかったが、高橋社長も報道陣をけむに巻くだけだった。

 郭会長は、シャープを気遣ってか、「これは買収ではなく出資だ」と話したが、高橋社長も「戦略的提携」「パートナーシップ」と繰り返し、シャープが経営危機の末、やむを得ず外資の軍門に降ったことについては終始、触れられなかった。

 高橋社長は平成25年6月に就任。「シャープのけったいな文化を変える」と話し、風通しのいい雰囲気づくりを目指した。しかし、シャープを取り巻く環境はすでに、風雲急を告げていた。

 主力の液晶事業で、パネル市況の急変が表面化したのは26年秋だ。中国でのスマートフォン普及が一巡して成長が鈍化し、価格下落も進んだ。白物家電と太陽電池の両事業も海外生産比率が高いだけに円安が逆風となり、シャープの業績は一気に悪化した。

 主力行の資本支援を受けるために27年3月に再建策を出したが、「甘すぎる」と突き返された。このため、2月の会見で「社員数に余剰感はない」との前言を翻し、国内で3500人規模の希望退職を募らざるを得なくなり、高橋社長ら経営陣の社内の求心力は急激に低下した。高橋社長は「経営が間違っていなくてこうなるはずがない」と責任を認めたにも関わらず続投。盟友の両副社長も水嶋繁光氏が会長、大西徹夫氏が副社長執行役員に就き、3人とも事実上、経営の中枢に居座ることになった。

 最も問題だったのは、シャープという会社をどのように再生するかというビジョンが示されず、抜本的な構造改革が先送りされたことだ。特に、巨額の投資を継続しないと競争に勝てない液晶事業に関しては、すでに赤字を垂れ流しており、どうやって“止血”するのか、展望が開けなかった。10年ほど前に自社の液晶パネルを組み込んだテレビ「アクオス」を「世界の亀山モデル」として売りまくった“成功体験”を捨てられなかったようだ。

 液晶ではなく、複写機や白物家電など、比較的収益が安定している事業を経験してきた高橋社長。早大ビジネススクールの長内厚准教授は、「シャープの液晶のポテンシャルを熟知していなかったと思われ、『液晶の次も液晶』という楽観的な歴代社長の方針の“呪縛”から解き放たれなかった」と指摘する。

 昨年には、迷走ぶりを象徴する「前言撤回」があった。液晶について5月の会見で「分社化の考えは全くない」と強く否定していたが、7月に高橋社長は、「環境が変わってきている。液晶を核にするだけでは苦しい」と述べた。

 分社化と外部資本の受け入れ検討の突然の表明に、シャープの地元大阪の吉本新喜劇だったら、会見に参加していた約200人の記者は皆、ズッコケたかもしれない。「読みが甘いといわれたらそれまで。固執するのはよくない」と釈明したが、会見場には白けムードが漂ったという。

 今年に入り、支援に名乗りを上げていた革新機構と鴻海、いずれの支援案を受け入れるか、という極めて重大な決定が、「決められない」シャープ経営陣に委ねられるという皮肉な成り行きになった。そして2月4日-。機構案を選ぶという大方の予想は覆され、決定は先送りされた。ただ、高橋社長が会見で「より、リソースをかけて検討している」というわかりにくい表現で鴻海の優勢を示唆しただけだった。

 この時、高橋社長は事実上、決定権を失っていたようだ。社長ら生え抜きの取締役は機構案を支持していたとみられるが、鴻海案に傾いた金融機関出身者や社外取締役を説得できなかった。

 社外取締役の中には、シャープに出資したファンドの出身者2人が、優先株をめぐり「決議に参加できない特別利害関係人にあたる」と顧問弁護士が指摘していた。本来、自分と反対意見の社外取締役がこのような状況にあれば、会社のトップとして決議への参加を見送らせることもできるはず。取締役会議長の水嶋会長も同じだが、結局、2人は決議に参加し続けた。

 シャープの取締役会は2月25日に鴻海の傘下に入ることを全会一致で決定。最後まで、高橋社長がリーダーシップを発揮することはなかった。

 26年12月、東京支社。役員と記者の懇親会で、高橋社長は、自ら国内外の事業所をまわり、いかに一般の社員と交流を深めているかを得意げに語っていた。

 しかし、この時すでに液晶パネルの市況は急速に悪化しており、わずか2カ月後に経営危機は表面化する。通期の連結業績予想を下方修正し、最終損益見通しを従来の300億円の黒字から300億円の赤字に引き下げたのだ。

 高橋社長は平時なら、一般の社員から親しまれ、平穏に任期をまっとうできたかもしれない。しかし、経営環境の悪化がそれを許さず、日本的な「調整型」の手腕は最後まで、発揮されそうにない。

 2日の会見で郭会長は、「シャープにリーダーシップを提供したい」と述べ、現経営陣にそれが欠けているという認識を示唆した。高橋社長の去就は明らかにされなかったが、その“決断”も、すでに親会社となった鴻海の郭会長に委ねられていることは明白だ。(高橋寛次)