元電通マンが早大サッカー部を甦らせた技 母校ワセダの否定が第一歩 (1/4ページ)

 元プロスポーツ選手がアマチュアチームの監督に就任するケースが増えている。元Jリーガーの外池大亮氏は昨年、母校・早稲田大の監督に就任するや、すぐにチームを優勝に導いた。外池氏を取材したスポーツライターの清水岳志氏は「選手を引退した後、電通やスカパー! で働いた経験やノウハウが部員の意識を高めた」という――。

10年のビジネスマン経験を生かし監督を務める外池大亮氏(写真提供=早稲田大学ア式蹴球部)

10年のビジネスマン経験を生かし監督を務める外池大亮氏(写真提供=早稲田大学ア式蹴球部)

Jリーガーで11年→電通とスカパー! に10年→早大監督へ

 元プロスポーツ選手がアマチュアスポーツの監督やコーチに就任するケースが増えている。元Jリーガーの外池大亮氏(44歳)もそのひとりだが、その略歴は異色だ。

 早稲田大学卒業後、Jリーグのベルマーレ平塚(現湘南)、横浜F・マリノス、ヴァンフォーレ甲府などに在籍し、11年間トップ選手として活躍(1997年~2007年)。現役引退後、一般企業で社会人生活を送り、2018年から母校・早大のア式蹴球部(サッカー部)の監督に就任した。

 ユニークなのは、Jリーグ選手を引退してから監督に就任するまでの一般企業でのキャリアだ。実はその経験が、現在、90人以上いる部員のマネジメントや部の運営に役立つだけでなく、就任していきなり関東大学リーグ戦で優勝を果たす原動力にもなった(前年は2部に降格していた)。

30代前半までトップ選手だった人がサラリーマンになった

 30代前半までずっとサッカー人生を歩んできた外池氏が選手生活に終止符を打ち、選んだのが「サラリーマン」だ。2008年から働き始めたのは、大手広告代理店の電通。なぜ突然、電通という大企業への勤務がかなったのか。

 外池氏は現役時代の2003年、ヴァンフォーレ甲府からサンフレッチェ広島に移籍する時、将来の第2の人生を見据えた行動をしていた。実はJリーグに「キャリアサポートセンター」という選手向けの窓口があり、そこを通じてオフシーズンなどに企業でインターン活動をすることができた。外池氏は、その制度を躊躇なく利用した。

 「在籍していたマリノスを戦力外になった時(2002年)、『プロサッカー選手の存在意義って何だろうか』とじっくり考えたんです。選手としてはゲームに勝利し、観客やファンにプレーを楽しんでもらうことが第一であることはわかっていました。ただ、ボールを蹴る以外にも、自分の能力を社会に還元できることはないか。自分自身をもっと成熟させたかった。そんな時に知ったのがインターンの制度でした」

 それ以降、計8社インターンで働いたという。「中日新聞社」「朝日新聞社」では取材活動の仕事を経験して、新聞が刷り上がる場にも立ち会った。「リクルート」では転職市場を体験し、「電通」のスポーツ局ではライセンスやブランディング、「Jスポーツ」で解説をやりつつ放送の仕組みの勉強をした。

サラリーマン経験10年が「監督業」に生きている