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“斜陽”映画産業に光明の兆し 復活の鍵は政府支援体制
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2011年の興行収入が前年比17.9%減の約1812億円に落ち込み、衰退の危機がささやかれる映画産業に、明るい兆しが見え始めた。
複数のスクリーンを持つシネマコンプレックス(シネコン)で娯楽作品が集中的に上映されることが多かった興行にも、個性的で質の高い作品を求める機運が出始め、目の肥えたファンが戻りつつある。
10月下旬に開かれた東京国際映画祭は今年で25回を数え、世界で存在感を高めつつある。映画産業「復活」の鍵は欧米に見劣りする政府の支援体制にありそうだ。
「映画は時代を映す鏡。その力を信じたい」。10月28日に閉幕した東京国際映画祭の記者会見で審査員の一人、イタリアのエマヌエーレ・クリアレーゼ監督は、こう強調した。
日本の映画興行を取り巻く環境は大きく変化している。2000年ごろから、郊外のショッピングセンターなどにシネコンが急増。人気作を集中上映し、不人気だとすぐ打ち切る手法が定着した。
そのため映画製作は、人気テレビ番組の続編や漫画を原作とするなど、一定の観客が見込める作品に偏った。
並行して個性的な作品を上映するミニシアターが激減。主に1980年代、欧州などの芸術性の高い作品をロングランヒットさせた役割は影をひそめた。また複製フィルムからデジタル素材による上映に移行しつつあり、設備投資の余裕がなく、閉館する地方映画館も増えている。
さらに、シネコンの成長も頭打ち状態だ。全国でシネコンを運営するユナイテッド・シネマ(東京都港区)は3月、経営不振のため親会社の住友商事から投資会社に売却された。さまざまな映像コンテンツがインターネットで入手できるようになり、映画館に足を運ぶ人も減っている。今後は「増えすぎたスクリーン数の淘汰(とうた)が始まる」(証券アナリスト)とされる。
とはいえ大量のコンテンツが出回るようになったことで、かえって「ファンの好みが多様化し、個性的な作品が受け入れられる土壌も戻ってきた」(映画祭関係者)との指摘がある。
大手映画会社の東宝は2013年2月期連結決算の最終利益は前期比32%増の130億円と見込む。
大ヒットした「テルマエ・ロマエ」が収益を押し上げたほか、社会派作品の「終の信託」も手がけ、今後も「バラエティーに富んだ作品をそろえていきたい」(担当者)という。
映画産業にとって、運営の見直しが迫られるシネコンが今後、国内外の質の高い作品をいかに取り込んで商業ベースにのせるかが大きな課題となる。
今年の東京国際映画祭は、沖縄・尖閣諸島の国有化で日中関係が冷え込む中での開催となり、中国作品の「風水」が直前に不参加を表明するトラブルに見舞われた。だが「映画と政治は別」と上映に踏み切り、政治介入を拒んで存在感を高めた。中国の関係者からも称賛の声が上がったという。
今年の最高賞と最優秀監督賞を受賞した仏作品「もうひとりの息子」は、子供の取り違え事件を通じ、イスラエルとパレスチナの対立や人々の苦しみを描いた作品だ。映画祭関係者はこの作品の今後に期待をかける。昨年の最高賞は出品国の仏や欧州だけでなく、日本でもヒット作品となった。受賞作がヒットすれば次回以降に質の高い作品が集まり、映画祭の知名度も上がる好循環が生まれていく。
一方、映画産業に対する政府の支援体制が不十分だとする声が少なくない。10月26日、都内で開かれた東京国際映画祭の分科会「国際共同製作を考えるセミナー」では、参加した仏のプロデューサーが、日本の映画について「米国のように『産業』なのか、仏のように『文化』なのか、性格が中途半端な点が成長を妨げている」と指摘した。
欧米では複数の国による「国際共同製作」を支援する仕組みが整っており、ロケの便宜を図ったり、経費の税額を控除して製作費を支援する制度がある。
日本でも11年度から政府の支援が始まった。ただ予算は年間で約2億円、1作品当たりの支援は数百万円から数千万円にとどまる。
海外の大作級の映画の製作費は数十億円から100億円単位にのぼるだけに、海外勢が日本と共同製作をしたくなる動機付けにはなりにくい。
縦割り行政への批判もある。映画製作は通常、企画立案から公開まで数年かかるが、「官庁は1年単位で担当が変わり、責任の所在もあいまいで交渉しにくい」と関係者は打ち明ける。
東京国際映画祭の知名度はカンヌ、ベルリンといった伝統ある国際映画祭には遠く及ばず、当面の目標は「アジアのゲートウェイ」。だが、移民の多いカナダで毎秋開かれるトロント国際映画祭が似通う目標を掲げているほか、韓国・釜山や中国・上海の新興映画祭が政府の強力な支援も得て急速に台頭するなどライバルも少なくない。
東京国際映画祭のイベントに参加した枝野幸男経済産業相は「『クールジャパン』を推し進めてきた中で、文化や芸術の力が最も大きく現れるのが映画」と持ち上げた。その力を、政府がどこまで引き出せるのかも問われている。(藤沢志穂子)