海外情勢

戒厳令解除も情勢不安続く 比ミンダナオ島、西部で連続爆発事件

 イスラム過激派対策のため、フィリピン南部ミンダナオ島に出されていた戒厳令が2019年末、解除され、政府は復興と経済成長にかじを切る構えだ。軍は戒厳令にも国民の理解と支持が得られたと自信を示している。しかし、島西部では爆発事件が続き、治安情勢が安定しない。

 ミンダナオ島の最大都市ダバオ。地元商工会議所のジョン・トリア会頭は「戒厳令が布告された17年にはビジネスイベントが中止されたことがあったが、間もなく普段通りに戻った」と述べ、戒厳令が経済活動に与えた影響は限定的だったとの見方を強調した。

 ただ地元企業関係者は、戒厳令が出ている間のミンダナオ島出張を禁止していた日本企業があったと明かし「経済的打撃に至らずとも、いくつかの商機を逸した可能性は否定できない」と楽観論を牽制(けんせい)した。

 政府は治安が一定程度回復したと判断したが、同島西部コタバトや周辺では19年12月に連続爆発が発生、市民を含む20人以上が負傷し、不安定な情勢が続く。関係者によると、コタバト近辺で政府機関などがJ1の湘南ベルマーレを招待したサッカー教室開催を今年1月中旬に検討していたが、治安情勢を考慮し、いったん見合わせた。

 戒厳令をめぐっては、故マルコス元大統領が長期独裁政権の足掛かりにした過去があり、強権的なドゥテルテ大統領が乱用する懸念も指摘された。

 19年12月実施の世論調査では、17年からの戒厳令下では軍による人権侵害は「ほとんどなかった」と55%が回答。「あった」と答えたのは14%にとどまり、軍幹部は「大統領や軍の手法が支持を得た」と自負した。(ダバオ 共同)

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【用語解説】フィリピンの戒厳令

 戒厳令は治安当局が令状なしで身柄拘束や捜索をできるようにする。フィリピンでは第二次大戦後、3回出された。1972~81年、マルコス大統領(当時)は全土に布告、政敵や民主活動家を弾圧した。2009年12月4~12日、アロヨ大統領(同)は選挙をめぐる無差別殺害事件をきっかけにミンダナオ島マギンダナオ州に限って出した。ドゥテルテ大統領は17年5月、同島マラウイで軍とイスラム過激派の戦闘が始まったのを機に同島に出した。(ダバオ 共同)

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