日銀は15日、2006年1~6月の金融政策決定会合の議事録を公表した。3月の会合で量的金融緩和策の解除に踏み切ったが、市場予想(4~6月)より早かったため、当時はさまざまな憶測を呼んだ。議事録では、円安に対する海外各国の警戒感という“外圧”も緩和解除を急ぐきっかけになったことが判明した。
国際社会の冷視線
日銀は当時、当座預金(民間の銀行が日銀に預けるお金)の残高を目標とする量的緩和策を世界で初めて導入していたが、消費者物価指数(生鮮食品を除く)の安定的上昇などの条件を満たせば解除する方針を示していた。
だが同年1月の会合では、水野温氏審議委員が「(量的緩和による)低金利が他国に迷惑を掛けているという論調が(世界の)中央銀行の中である」と指摘。福井俊彦総裁も量的緩和が招く円安に言及し、「『これを単純にエンジョイするのか』という感覚が(国際会議の)共通の認識」と呼応した。
3月の会合で、水野氏は「異常な金融政策の枠組みを長期間継続すると、金融機能低下という副作用が大きくなりすぎる」と主張。他の会合メンバーも「条件は満たされている」(岩田一政副総裁)と解除に賛意を示した。