2015.3.9 05:00
「またか」との思いを禁じ得ないが、野党による政権へのスキャンダル追及が激しさを増している。例によって「政治とカネ」問題の追及だ。
『昭和戦前期の政党政治~二大政党制はなぜ挫折したのか』(筒井清忠著)などに詳しいが、政策の本質論そっちのけで、野党が政権奪取を至上命題として、メディアや世論を巻き込み、スキャンダルによる内閣バッシングに走ることは、歴史的に見ても政党政治の自殺行為だ。1920年代のわが国の政治史を振り返れば、そうした行為が「既成政党全体への不信」を増し、野党にとっても、結局、自分の首を絞めることは明らかである。
現在、中国で大問題となっているように、権力をバックにした贈収賄、つまり「政治・行政とカネ」の問題が、金額的にも構造的にも、国家にとっての本質的な課題であるなら、それを正面から論じることも必要であろう。程度の差はあれ、かつての日本にもそういう時代があったことは確かだ。
こうした観点から見て、今回の問題は、来年度予算案の審議を止めてまで議論すべき内容なのだろうか。何が本質かを見誤ってはならない。
国会での与野党の論戦について、俗に「国会質問」という言葉が使われる。ただ、実は国会法上は、原則として、口頭で「質疑」はできても、「質問」はできないことになっている。本会議や委員会で議題となっている案件についてのやり取りが「質疑」だが、その他国政全般について内閣の見解をただす場合には、「質問」とみなされるので、緊急質問の場合を除き、口頭ではなく文書で行うことが原則だ(役人の間で悪名高い「質問主意書」)。