「米兵戻れば、再び活気」 期待募るフィリピンの港町、旧スービック基地

2014.5.6 00:44

米国の艦船が停泊するスービック湾。手前は国際空港の滑走路(吉村英輝撮影)

米国の艦船が停泊するスービック湾。手前は国際空港の滑走路(吉村英輝撮影)【拡大】

  • インタビューに応えるオロンガポ市のパウリノ市長(吉村英輝撮影)
  • 米国の艦船が停泊するフィリピンのスービック湾で昼寝する男性たち(吉村英輝撮影)

 【フィリピン北部オロンガポ=吉村英輝】米国とフィリピンは南シナ海の環礁などで実効支配を強める中国を念頭に米軍の航空機や艦船のフィリピンへの巡回を拡大する新軍事協定を結んだ。冷戦終結を受けて米軍がフィリピンから完全撤退して22年。かつてアジア最大規模の米海軍基地を抱えていた港町は米軍回帰を歓迎するムードに包まれていた。

 「米軍が戻ってくれば、町は再び活気に満ちあふれるだろう」

 マニラ首都圏から高速道路を経て車で2時間余り。旧米海軍のスービック基地に隣接し、基地と盛衰を共にしてきたオロンガポ市のパウリノ市長は新軍事協定が地域に与える経済効果に期待を込めた。

 協定に盛り込まれた米軍新施設の場所をめぐり旧米空軍クラーク基地やスービックが取り沙汰されている。今後、両国間協議で調整されるが、同市長室には米海軍の将校が表敬に訪れ、すでに「地ならし」が始まっているという。

 スービック湾は深い入り江にある天然の良港で、米海軍がフィリピンの旧宗主国スペインから譲り受け、ベトナム戦争の出撃拠点となるなど、約90年間にわたって活用してきた。

 オロンガポ市の歓楽街は米兵でにぎわったが、1992年の基地返還で状況は一変。飲食店などが閉店に追い込まれ、約1万人が仕事を失ったという。米海軍が戻れば、飲食業が復活するほか、海外に出稼ぎに行ってしまった優秀な港湾労働者たちも戻ってくる。

 反対意見もある。協定が署名された4月28日、市内で数十人が「米国の言いなりになるな」と抗議活動を行ったという。2002年以降はフィリピン軍への対テロ支援で米海軍の寄港が再び増え、08年には地元女性が米兵にレイプされたと訴える事件も起きた。

 パウリノ市長は「この20年で世界のグローバル化は進み、海外からの訪問者は増えている。米兵も観光客と同じだ。しかも規模が大きい」と話す。

 実際、基地の跡地で03年からクラブやホテルを経営している男性は「米艦船が寄港すると2千~5千人の兵士が3~4日にわたり町にカネを落とす。うちの飲食の売り上げもひと晩80万ペソ(約180万円)になる」と語り、新たな設備投資を検討中という。

 フィリピン当局はスービック返還後、670平方キロメートルの敷地と80億ドル(約8150億円)相当の施設を引き継いだ。香港やシンガポールのような自由貿易港を目指し、一帯を経済特別区に指定して外資の積極誘致を進めた。

 税優遇措置にひかれ、日系製造業も工場を構えたが、日本貿易振興機構(ジェトロ)によると、急に土地利用料を課されるなど混乱。日本からの借款で整備した貿易港の利用率は、計画比で1割以下にとどまっているような状況だった。

 フィリピン政府は南シナ海における中国艦船への即応体制を強化するため、スービック地区の港湾や滑走路の修復も進めている。中国と領有権を争うスカボロー礁(中国名・黄岩島)への偵察監視などを強化する方針だ。

     ◇

 ■旧米海軍スービック基地 1947年のフィリピンとの軍事基地協定見直しで、米海軍が中継・補給基地として使用。冷戦時代はアジア太平洋地域の戦略拠点と位置付けられた。冷戦終結後、使用期限延長でフィリピン側の合意を得られず、92年に返還された。

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