「またご飯行こうね」。こんなメールをもらったのは、フィギュアスケート男子の髙橋大輔選手が来季の休養を明らかにしたときのことでした。
2006年のトリノ五輪から今年2月のソチ五輪まで3大会連続出場。10年のバンクーバー五輪で日本男子初の銅メダルを獲得したのをはじめ、世界選手権もグランプリシリーズ(GP)のファイナルも日本男子で初めて制しました。実力、人気ともに日本男子を牽引(けんいん)してきたエースの休養には、少なからず驚きもありました。
1年ほど前に話をしたときには、「俺は(18年の)平昌(五輪)までやる。ずっと競技を続けたい」と明言していたからです。それでも、五輪シーズンが始まると、古傷だった右膝の痛みに苦しめられ、五輪に万全のコンディションで臨むことができなかった。そんな中で、一度切れてしまったモチベーションは、来季へとすぐに高めることができなかったのだと思います。
では、引退できるかといえば、そこまでの踏ん切りもつかなかったのでしょう。悩んだ末の「休養宣言」だったのだと思います。