中国当局が学生らによる民主化運動を武力弾圧した1989年の天安門事件から25年を迎えた6月4日、北京の天安門広場周辺には多数の警察車両や小銃を抱えた警官らが配置され、厳戒態勢が敷かれた。当局は国内報道を規制し、共産党機関紙の人民日報をはじめ中国各紙は事件を黙殺した。一方、香港では民主派団体の呼びかけで、大規模な犠牲者追悼集会が行われた。集会汚職や格差拡大など社会矛盾が深まる中、習近平指導部は民主化要求や庶民の不満を力ずくで押さえ込む姿勢だが、四半世紀を経てもなお、天安門事件の傷口は中国社会のなかに生々しく開いたままだ。
厳戒態勢、報道も規制
天安門事件の記念日に対する中国当局の警戒ぶりは、異様なほどだった。6月4日が近づくにつれ、犠牲者の遺族や活動家の拘束や軟禁が相次いだ。4日にはNHK海外放送の関連ニュースも約3分間中断され、規制は海外メディアにも及んだ。
当時19歳だった息子を事件で失った母親(77)は、8人の治安当局者に交代で見張られ、外国人記者との接触を禁じられるなど例年にない監視を受けた。ロイター通信の電話取材に応じた母親は「私はただの老人で、国家機密なんて知らない。息子のことしか話せないのに、何を恐れているのか」と語った。